「資本主義が嫌いな人のための経済学」 (←アマゾンサイトにとびます)
(Filthy Lucre - Economics for People Who Hate Capitalism)
Joseph Health NTT出版、2012年2月
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「市場原理主義」を批判する左派系の経済学者の本かな、と思ったら間違いだ。著者はカナダ、トロント大学の教授で専門は哲学だ。日本でも稲葉振一郎という社会思想研究が専門の方が書いた「経済学という教養」(2004年)という本がちょっと話題になったことがあったのを思い出した。あまり具体的な内容を思い出せないが、啓蒙的な価値のある内容だったという印象が残っている。
著者の批判は、第1部「右派の誤見」で現代の主流派の経済学に向けられている。ところが第2部「左派の誤信」で左派系論者への批判が展開する。そういう意味で、中道という簡単なようで実は難しい立場に立っている。
一般書ではあるが、経済学の下地のない読者には難しいだろう。反対に既にかなり勉強している読者には解説が徹底していない(おそらく難しくなり過ぎることを避けたため)点を感じるだろう。それでも読んでみて、自分が暗黙の前提にしていたことから生じる様々な思考のバイアスを点検できる価値がある。
右派と左派の双方への批判の切り口は多岐にわたっており、手短には要約できないが、私にとって新鮮だった右派への批判でまず一点あげよう。1956年の論文で当時学会で大いに議論を呼んだ「次善の理論(The Theory of Second Choice)」があるという。現実には満たされるケースはないが、完全な競争市場では資源の最適配分を実現する最も効率的な状態をもたらすと経済学では考えられている。これを根拠に、経済学者は完全競争状態は実現不可能でも、それに現実が近付けばベターな結果がもたらされると主張してきた。
ところがこの論文は完全度で1%欠ける99%完全な競争市場が、それよりも非競争的な市場よりも効率的である理由はないことを論証したという。「完全効率性の条件の一つが破られた場合に、できるだけ完全に近い効率性を達成する唯一の方法は、あえて完全競争市場に求めるルールをさらに幾つか破ることだ」(p76-77)という。 それは確かに現在主流の経済学に基づいたイデオロギーを根底から転覆するロジックだね。
著者によるとこの論文が発表された時に、多数の反論論文が寄せられたが、やがて主流派は「反論できないので無視することに決めた」という。ところが残念なことに、著者はこの「次善の理論」のロジックを読者にわかりやすく解説してくれていない。しょうがない。自分で読んでみることにしようか。
私にとっては第2部の左への批判も興味深い。
例えば日本を含む先進国で問題になっているワーキングプアの問題、左派は最低賃金の引き上げを主張する。この最低賃金の引き上げが問題の解決になるかについては、主流派の経済学は懐疑的であり、労賃コストの上昇に併せて雇用が減るから失業者が増えるだけで雇用所得の改善につながらないと判断する。
ただし実証的には、最低賃金の変化に対して雇用はそれほど柔軟に変化しないという事実が提示されている。しかしながら著者の最終的な結論は「特定の職業では生計がなりたたないという事実は、それしか給料がもらえないのは不公平だということを意味しない。社会がその職業に就くように要求していない、ということではないか。あまりに多くの人がもうしている仕事だからだ」である。(p266)
従って所得の改善のためには、労働者のスキル、能力の向上、あるいは修正しかない。つまりしっかり自分自身を訓練、勉強しなさいということだ。その意思がある人間には政策は援助ができるが、意思のない人間は助けようがない、と私は理解した。
また12章では経済の平等性と効率性の議論で、右派は効率性を重視し、平等性を無視、あるいは軽視する、左派はその逆で、いずれも平等性と効率性はトレードオフの関係にあると暗黙の前提にしているが、実は前提が誤っているという。
厚生経済学の第2基本定理では市場は平等という点では基本的に中立であり、平等性と効率性には原理的なトレードオフはない。特定の条件が付加される時にトレードオフの関係が生じるだけだという(p316) 社会・経済政策へのこのことの含意は大きいね。
それでは平等性を損なわずに効率性をあげる政策とはいかなるものか?それについては本書をお読み頂きたい。