たけなかまさはるブログ

Yahooブログから2019年8月に引っ越しました。

2012年03月

gonchanからのコメント、質問でETFの配当について調べた。彼の経験ではMSCI-kokusaiのETFを積立方式で買っていたが、「配当が0.1%ぐらいしかつかないのでやめた」ということだった。
 
ポイントはETFには現物株式への投資で構成されるものと、株価指数先物への投資で構成されるものの2種類があるということだ。私がメリルリンチの口座で保有しているiSharesS&P500などは現物株式への投資で構成されているので、配当がある。また東証上場ETFでも「TOPIX連動型投信(銘柄コード1306)などは現物への投資なので配当がある。
 
ところが「上場米国株式(1547)(S&P500連動)」、MSCI-kokusai(1680)、MICS-emerging(1681)などは、投資対象が「株式指数先物取引に係る権利」が投資対象なので、配当は原則生じない。例えば以下のサイトで銘柄1547の日興証券の目論見書をご覧頂きたい。
 
2ページめの中段に次のように書いてある。
「内外の短期公社債などに投資しつつ、株価指数先物取引に係る権利を中心に投資し、円換算したS&P500指数の動きに連動する投資成果を目指して運用します」と書いてある。
つまり先物指数への投資だから配当は出ない。 おそらく多少は別債券にも投資する部分があり、gonchanが受け取った0.1%という僅かな分配金はそれからの利息部分だったのだろう。
 
「配当がないなんて現物投資より損じゃないの?」
原理的に考えると、そういうことではない。現物の株式からなるポートフォリオと株価指数先物の間には算術的に導かれる乖離が生じる。つまり現物は配当益があるが、同時に金利コストがかかる。反対に先物指数は配当益はないが、金利コストはかからない。
 
これについては以下の日本証券業協会のサイトの説明が役に立つだろう。
 
該当部分だけ以下引用する。
「日経平均株価が20,000円、短期金利が2%、配当利回りが0.5%、決済まで90日なら、先物の理論価格は次のようになります。
先物の理論価格=現物価格×{1+(短期金利-配当利回り)×(決済までの期日/365日)}
20,000円×{1+(0.02-0.005)×(90/365)} =20074円 」
 
短期金利と配当利回りの格差次第で、現物より先物の方が高くなったり、あるいは安くなったりするわけだ。
だから裁定取引が働いて裁定価格が成り立っている限り、株価指数先物に投資しているからと言って配当分損をするわけじゃない。 
 
現在のようにS&P500の配当利回りが2%前後、短期金利が0.5%以下の状態なら、先物価格の方が現物より安くなるので、先物投資のETFはその分だけ現物価格より安く買うことができる。先物決済期日には価格は同一になるので、配当利回りと短期金利差のスプレッドはその時(先期日に持高をロールオーバーする時に実現する)はずだ。
 
こうした仕組みは、外為で円資金をドルに転換して現物でドル資産に投資した場合に得られるドル円金利差分が、先物のドル買いだとドルの先物ディスカウント分だけ直物より安く買えて、先期日へのロールーバー時に顕現化する(FXトレードでは1営業日毎に顕現化)のと同じだ。従って配当がなくても損はしない。
 
しかし現物株式と先物指数の価格差の関係は、為替の直物先物の価格乖離幅よりも不安定だと聞いている。だから実際にそうした形で、「先物投資ETFのリターン=配当利回り・金利格差+現物価格変化リターン」となるかどうか、具体的に個別のETF毎に検証してみないとちょっと不安を感じる。 
 
それはともかくとして、上記の目論見書の説明はわかり難い!もっとはっきりと「本ETFは株価先物指数に投資しますので、原則的に配当はございません」とはっきり素人にもわかるように書くべきだろう(・へ・)。
私とgonchanが気がつかなかったくらいだから、株式投資のプロじゃないとわからんぞ!
 
しかし現金配当を受けることが楽しみになっている個人投資家には、この商品設計は受けないね。あるいは、おじいちゃんやおばあちゃんに配当が出ない理由を以上のように説明しても理解できんだろう。
 
また配当の生じる海外現物株式に投資すると、海外での課税と日本での課税の2重課税になる可能性がある。従って先物指数投資のETFというのは、この点では2重課税を避けるためには合理的なのかもしれない。
 
あるいは海外ETFでダイレクトに保有することで2重課税はとりあえず避けられるのかもしれない。私は米国メリルリンチにiSharesのS&P500をもっているが、難点は手数料が高いこと(購入時3%)。税金コストの点は、もうちょっと調べる必要がありそうだね。
 
やはり「悪魔(あるいは神)は細部に宿る」ですねえ。実務的に細かいことまで調べないと投資というものは安心できないね。
 
追記(3月30日):
gakuさんのご質問、MSCIの指数は事実上のインカムリターンを含めたものか、価格変化のみか?
MSCIの定義を読むと以下のように書いてあります。
 
The MSCI Price Indices measure the price performance of markets without including
dividends. On any given day, the price return of an index captures the sum of its
constituents’free float-weighted market capitalization returns.
 
The MSCI Total Return Indices measure the price performance of markets with the income
from constituent dividend payments.
 
つまりMSCIにも価格変化のみと配当込みの総合リターンベースの2種類がある。ちなみに一般的な株価指数は、TOPIXもS&P500も価格変化のみですね。
 
ではMSCI-KokusaiやMSCI-emergingはどっちなの?
The MSCI KOKUSAI Index is a free float-adjusted market capitalization index that is
designed to measure the equity market performance of developed markets excluding Japan.
 
上記の定義を読む限り、MSCI-kokusaiは価格変化のみの指数だと読めますね。
従ってMSCI-kokusaiに連動したETFは(配当利回り-金利>0)の分だけ、indexのリターンを原理的には上回るはずです。ほんとうにそうなっているかは、長期データに基づいて検証が必要でしょう。
 
この点、そういう理解で良いか?
誰か資産運用会社にご友人がいたら、問い合わせてみてください。
私も本件は「引き続き調査事項」にしておきます。追加でわかったら、またブログに書きます。
 
 

安達誠司さんの「円高の正体」(光文社、2012年1月)を読んだ。
最初の2章ぐらいは、入門の入門、イロハのイ、という内容だ。既にFXトレードなどを経験している人にはやさし過ぎるだろう。まあ、わかりやすい大衆書としては、ここまで内容を下げる必要があるのかもしれない。
私としては講義ではそういう説明もするが、「著書」としては書きたくないレベルだな。
 
内容的な価値としては、長期的な為替相場の説明原理として私の著書同様に相対的購買力平価原理を強調ている点がまず一点。
 
さらに踏み込んだ中期的なドル円相場の変動も説明できる仮説として日米のマネタリーベースの比率を変数にした「ソロス・チャート」を紹介した上で、2000年代にソロス・チャートが説明力を失った数年間を、マネタリーベースから超過準備を差し引いて日米の修正マネタリー・ベース比率を変数にすると(「修正ソロス・チャート」と著者は呼んでいる)、為替相場に対する説明力が向上する(相関関係が見られる)ことを示した点がオリジナルなポイントだろう。
 
ただし、相関分析(あるいは単回帰分析と言おうか)の統計分析的な処理や、結果の開示の点では不十分さが残る。為替相場の推移と日米の修正マネタリーベース比率の推移を重ね合わせて「ほろ、けっこうよく重なるでしょ」というのは、素人さん向けには通じるが、エコノミスト相手には足りなさすぎる。
まあ、あくまでも大衆書として書いていると理解しよう。
 
最後に金融政策でもっとマネタリーベースを増やして、「日銀はインフレにするぞ」と強いコミットメントを発すれば、デフレと円高は修正できるんだとリフレ策を強調している点は、一般に見られるリフレ論としてオリジナルなものはない。
 
ただし、マネタリーベース(日銀券発行残高と日銀に置かれている民間銀行の当座預金残高)をもっと増やすとどうしてデフレからインフレになるのかを説明するプロセスで、大きな誤解をひとつやってしまっているので、指摘しておこう。
 
「(1)日銀が、マネタリーベースを十分に供給し続ける=日銀が銀行の当座預金口座に現金を十分に供給し続ける。
(2)すると、銀行は今後インフレが来ると予想し、(=銀行内部での予想インフレの上昇)、(日銀の当座預金を原資に)株や外債での運用を増やす=株高と円安が生じる)」(p190)
そしてそうした行動が一般の投資家にも波及して株高と円安が進む・・・・と展開する。
 
致命的な誤りは(2)の部分だ。まず銀行は株式を保有しているが、主要な部分は取引関係を配慮した政策的投資残高であり、短期的な景気動向の読みで増減させる対象ではない。またトレーディング目的でも株を保有しているが、市場の生損保や年金、投信などの機関投資家に比べると規模はケタ違いに小さく、意味のあるインパクトにならない。
 
また銀行は円資金が増え過ぎて、かつインフレや円安を予想すると円資金を外貨に転換して外債や海外株を買うという行動をすると理解されているが、これは全くの間違いだ。
 
銀行は外国為替の持高を操作しているが、持高はすべて短期の為替スワップ取り引きでロールオーバーする形をとっており、円資金は使用しない。つまり、つねに銀行のバランスシート上の資金負担が直接かからない先物で為替持高を操作している。だからマネタリーベースの積み上がりと為替持ち高は全くなんの関係も持たない。
またその持高の規模も、非銀行部門の法人や個人の持高に比べて大きいとは言えない(後者の方が近年はずっと大きくなった)。
 
さらに外債も、対象債権のレポ取引でロールーオーバーする形で先期日の買い持高(あるいは売り持高)を造成、維持するので、実は外貨資金も円資金も使わない。従って「円資金が増えたので、円を売って外貨に換えて外債投資でもしよう」というような意思決定の因果関係は全く働かないし、そんな操作をやっている銀行はない。
 
著者は外資系証券会社勤務なので、銀行の為替持高や外債投資の実務を全くご存じないのだろう。この点は、著者に限らずジャーナリストも含めて銀行の実務をしらないほとんどの方が誤解している点だけどね。
 
と、以上そんなところなのだが、ちょっと評価が厳し過ぎたかな? どうも自分と同じ分野をやっている方に対しては、内情を知っているだけに厳しくなってしまうのかもしれないなあ。だからアマゾンにはコメント書かないでおこう。
 
 

本日(3月26日)発売の毎日新聞社エコノミスト臨時増刊号「投信大点検」(←クリックでアマゾンへ)
私も「日本の投信、ここがだめ」の章で「投信信託よ さようなら、ETFよ こんにちわ」で寄稿しています。
世の中、高い手数料を無駄に払ってくれる方々が沢山いるおかげで、金融機関の投信ビジネスは
「もっと売れ!売れば売るほど儲かる!」状態です。
 
まあ、今の時代、銀行のリーテル部門も投信の販売は重要な収益源で、私も60歳過ぎると30年勤めた銀行から企業年金の給付を頂く身ですから、ある意味では「ありがたい」ことなんですが、投資家、あるいはエコノミストとしては、やはりおかしいと言わざるを得ない。
是非ご覧ください。
 
*****************
私の論点は以下の通り。
1、長期で見ると非インデックス型の投資信託は手数料コスト(含む信託報酬)差し引き後のネット投資リターンで、インデックス型投資信託よりも劣った(低い)実績しかあげていない。
国内株式を対象にした過去10年、100億円以上の投信を全部対象にしたデータで、その検証結果を示した。
 
2、一方、東証がETFの銘柄を過去数年飛躍的に増やしてきた。インデックスファンドに投資するならばETFの方が手数料コスト(含む信託報酬)が、インデックス型の公募投資信託よりもさらに安く、ETFを投資の主軸にした方が良い。
 
まあ、「資産運用のセオリー」(2008年)の投信の章で書いたことと基本的に同じだが、直近のデータで改めて検証して結果を図で示した。
 
ETFで日本株TOPIX、米国株S&P500や新興国株式のインデックスファンドに、長期にわたって定額積み立て方式で投資した場合の投資リターンについては同エコノミスト誌の週刊の方でただ今連載中、こちらもどうぞご覧頂きたい。 
 
結論を言うと、S&P500とMSCI-エマージングでの同投資は、2007年後半からの急速な円高、株安局面を入れても、IRRで相応にプラスのリターンを上げているということに注目したい。
 
週刊号の方は、先週号は日本株のリターン分析、本日発売の4月3日号、次週の4月10日号が海外株式投資の編が掲載される。
 
2012年4月3日号、賢い資産運用 高リターンの海外株式投資 その1 ■竹中 正治
 

デーモン閣下、民主党にイラつく・・・朝日新聞3月22日
 
私は朝日新聞なんか購読していないが、3階に住む母が最近、新聞販売勧誘で「3か月だけよ」とか言って購読、それを女房がもらって読んでいる。今日の朝刊の「デーモン閣下」のインタビュー記事が傑作だから読めと言う。
 
「悪魔の目的は人類の滅亡だ。悪魔の立場からすると、今の日本は思い通りに(滅亡に向かって)進んでいる。」「(民主党について)見ていてイライラするんだ、我輩は」
イライラしているのは悪魔閣下も人間も同じか。
 
ただし次の最後の台詞は冒頭と矛盾している。
「ずばり日本政治を良くする特効薬は?」
「そんな答えがあったら、我輩が議員になってやっているよ。答えがないからこんなことをやっているんだ、我輩は。ハハハ」
 
私だったらこう答えるぞ。
「特効薬?もちろん悪魔の我輩は知っている。しかしそれを教えたら、お前らは滅亡しなくなるので教えてなんかやらない。ガハハハ」
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1月に東大地震研究所が首都圏直下型M7規模の地震の発生確率を「4年以内に70%」と発表して話題になった。 京大防災研究所は「5年以内に28%」とかなり異なる予想も出している。以下サイト
 
 
専門家の予想がこんなに相違するのは「要するに本当のところはわからん」ということだろうが、自分の人生で一回は必ず起こると覚悟している。 覚悟しているだけじゃなくて、リスクを点検し、できる備えはしておこうと腰を上げた。以下点検項目。
 
1、地震保険:
資産として保有している建物、マンションには全て地震保険を以前からかけている。損害の一部しか取り戻せないだろうが、資産が壊滅するよりはましだ。
 
2、地域分散:
空室リスクの低さを考えるとどうしても都心部のマンションという選択になるが、地域は一応分散している。 日本橋、池袋、新宿、中野、京都
次の大震災までに景気の回復が続いて、市況が良くなったら日本橋の物件は売ってしまおうか。
 
3、円安、株安:
昨年の3.11の後は円高だったが、次回首都圏直下型大震災の場合は、状況次第では円安もあろうか。日本株中心に急落するのはやむを得ない。できれば次の大地震までに景気の回復が続いて株式のポートフォリオを利食いで縮めることができるといいなあ。
 
4、自宅付近での火災、延焼リスク:
私が東京で済む地区(新宿区)は防災指定地域なので、木造住宅はかなり昔から建設不可であり、木造家屋は過去20年で次第になくなり、自宅周囲にはもはや1軒もない。 延焼リスクはミニマムなので、自分で火事を起こさなければ大丈夫だろう。
 
5、自宅倒壊リスク:
築1995年、鉄筋コンクリート3階建て、これならM7だって倒壊することはないと思っている。従って自宅にいる時に地震がおこったら下手に避難するよりも、自宅の屋上から周囲を見て、問題がなければ自宅に籠ることになろうか。
 
6、ライフラインの停止:
水、ガス、電気が最低数日は停止するリスクがある。水は生活用水として22リットル入りのポリタンク2つ買って、備蓄した。飲用水としてペットボトルも2ケース買った。風呂には入れなくなるが、数日は給水車が来なくてもしのげるだろう。 最低限の煮炊きができるように、ポータブルコンロと家庭用ガスボンベを備蓄した。 米は常時から在庫をキープしながら食っているので、まあ1週間はしのげるか。
 
7、家族の行方知れず:
高校2年生の娘は高校まで歩いても30分~40分の距離だから、歩いて帰宅できる。
 
春から中学生になる息子は渋谷の先の中学で、地下鉄通学だ。学校からだと2時間ほど明治通りを北上すれば帰宅できる。問題は地下鉄に乗っている時に地震にあった場合だ。「とにかく地上まで出て避難しろ」とは言ってあるが、どこの駅からの避難、帰宅になるかわからない。
「GPSで位置特定機能付きの携帯電話を持たせよう」と言ったのだが、女房が中学生には携帯電話はまだ早いとか言って合意に至らない。引き続き検討事項。
 
女房は東京の自宅をベースに比較的狭い活動圏だから大丈夫だろう。
 
私の場合は京都に居る時に関東が地震になれば問題ないが、頻繁に東京-京都を往復しているので新幹線に乗っている時に地震に合うと、無事に列車が停止しても、交通が復旧して東京か京都に帰宅できるまで静岡とか愛知で「避難民生活」を余儀なくされる可能性がある。
まあ、命が無事ならよしとしようか。
 
あと何か考え忘れていることはないだろうか???
みなさんも備えましょう。
 
 

以前紹介・引用した深谷さんがドル円相場の今年の予想レンジを上方修正したから、ご紹介しておこうか。
レポートは以下サイト
 
前回は今年後半に90円までの上昇あるかも・・・・と上ブレ・シナリオの可能性示唆に止まっていたが、4-6月期にも85-90円レンジへのドル上昇をメインシナリオに修正した。
 
ドルの事実上の短期ゼロ金利状態の金融政策が2014年ではなく、2013年内に前倒しで解除になるかもしれない可能性をドル金利市場は織り込み始めているが、それでも年内はそうした解除は見込まれない状態で(従ってドル短期金利の上昇が年内は見込まれない状況で)どこまでドル相場が上昇するかはちょっと微妙だと私は感じている。
 
過去の金利格差とドル円相場の相関を見ると、金利格差が変化するのに先んじて為替相場がそれを見込んで変化する傾向が見られる。そのタイムラグは概ね6か月~9カ月。だから仮に2013年後半に超低金利解除と想定しても、2012年前半時点でのドル相場の対円での目立った上昇は、やや時期尚早の感じもする。
 
しかしながら、短期・中期の相場変動は過去の平均的な傾向からのブレは大きいので、このまま4-6月には85-90円という変化も、あり得るセカンド・シナリオとして留意しておこう。
 
どっちにしろ、80円台では為替持高も米国株式残高も私は変更する気はないので、90円まで上がるのが多少早かろうが、遅かろうが、どうでもいいんだけど、短期トレードしている方々には大きな関心事でしょ。
 
 
追記:
その一方で同じクレジスイスのエコノミスト白川さんは以下のようなこと言っている。
「米国の2 月のCPI は大幅上昇を回避したが、夏場にかけて米国経済がミニ・スタグフレーションに入る可能性はそれなりに高く、注意が要る」 3月19日
 
「ミニ・スタグフレーション」という表現でどういう状態を意味しているのか、数字的な基準を示していないので、なんともあいまいだが、大げさだと思う。景気の回復過程が一本調子でなく、踊り場を含む波があるのはむしろ自然と思う。
 
 

佐々木俊尚の「『当事者』の時代」(光文社新書、2012年3月)を読んだ。
(↑例によってアマゾンにレビュー書いております。)
468ページという新書としては異例の厚さだが、引き込まれて一気に読んでしまった。
 
「『当事者』の時代」というタイトルに込められた著者の含意は読まないとわからない。ただし次の帯封の文章がそれを補っている。「いつから日本人の言論は、当事者性を失い、弱者や被害者の気持ちを勝手に代弁する「マイノリティー憑依」に陥ってしまったのか・・・」 
この帯封を読んだだけで、私は後頭部にぞわぞわっと電気が走り、後はもう一気に読み切った。
 
ひとことで言えばジャーナリストとして生きて来た著者の渾身の戦後メディア批判である。こんなにラディカルなメディア批判はこれまでお目にかかった記憶があまりない。同時にそれが日本の戦後思想史の一角に鋭く斬り込む内容となっている。 
 
著者の分野は異なるものの、「革新幻想の戦後史」(竹内洋、2011年)の内容と比較対照しながら読むと一段と味わいが深いだろう。
 
1章は著者が毎日新聞の記者だった時の経験をベースに、警察(政府)とメディアの関係を「記者会見共同体」という表の顔と「夜回り共同体」という裏の顔の表裏一体の二重構造として解き明かす。
 
その後、話はがらりと転回し、戦後の思想史となる。筆者の俯瞰するところによると、敗戦から1960年代前半頃までは論壇を含む国民一般の戦争体験に関する意識は濃厚な被害者意識だったと総括する。要するに無垢な国民は、軍部独裁の下で事実から目を塞がれ、無謀で悲惨な戦争に徴兵され、大空襲で焼かれ、そして2つの原爆を落とされた被害者だったという意識だ。
 
そうした思潮が60年代の小田実の「被害者=加害者論」を契機に転換し、日本人は中国人、朝鮮人、アジアに対して同時に加害者でもあったという視点が登場した。それが戦争問題に止まらず、社会的なマイノリティー弱者、被差別者の視点から捉えるマイノリティー視点へと広がった。
 
そのこと自体は視点の拡大として意味があるはずだったのだが、思わぬ思想的な副作用を生み、「薬物の過剰摂取のように、人々は被害者=加害者論を過剰に受け入れ、踏み越えてしまった」(p278)と言う。 
 
言うまでもなく、これは右派系論者から「自虐史観」と批判されるようになる左派系論者の歴史観や思潮に顕著に見られる傾向となったわけだが、著者の本論はメディアもそうした視点にどっぷり漬かってしまったことだ。
 
そこから、虐げられたマイノリティーに憑依することで絶対的な批判者の視点に立とうとする様々な論調が論壇でもメディアでも横溢するようになってしまったと説き、70年代の過激派セクトの変遷や一世を風靡した本田勝一の論調を読み解く。
 
特に次のような手法が日本のメディアに蔓延したと指摘する。 「弱者を描け。それによって今の日本の社会問題が逆照射されるんだ。」(p393) 物書きとしてはセンセーショナルな記事が欲しい。そこで「矛盾を指摘するためには、矛盾を拡大して見せなければならない。だからこそマイノリティー憑依し、それによって矛盾を大幅にフレームアップしてしまうことで、記事の正当性を高めてしまおうとする。」(p398)
 
さらにそうしたマイノリティー憑依の思考が、実は古代からの日本の神概念をルーツにしていると著者は説く(第5章「穢れ」からの退避)。ただしこの点は日本の神概念の特徴分析として興味深いが、本当に戦後のマイノリティー憑依と同根であるかどうか、かなり冒険的な仮説だと思う。
 
最後に、こうしたメディアの手法も90年代以降、日本経済、政治環境が、それまでの大きく変わることによってさすがに陳腐化し、廃れてきていると言う。 
 
それではどうしたら良いのか? 「インサイダーの共同体にからめとられるのではなく、そして幻想の弱者に憑依するのでもなく」当事者の立場で歩もう(p429)というのが、本書のタイトルの含意になるわけだ。
 
もっともマスメディアはあくまでも傍観者、観察者であり、当事者になれるはずがないという原理的な困難性を抱えていることも承知だ。ただし時代はマスメディアの終焉に向かい、インターネットにより誰でも情報を発信できるようになった故に、様々な当事者の情報発信という新しい時代環境が始まっているのではないか・・・・と締め括っている。
 
論点の全てに合点がいくわけではないが、著者の半生を総括した渾身のメディア・思潮批判だ。重く受け止めたい。
 

1、さて、株価の回復と円高修正(円安)がさらに続いている。
当ブログのリピーターの方々も、6か月前 ((+_+)) ⇒ 今 (^^)v という方は増えているでしょ。
 
長く不振の相場状況の後に回復が始まった今のような局面で注意しなければいけないのは、早過ぎる利食いだ。行動経済学で指摘される「アンカリング」という認知バイアスのこと。人間は直近に経験した事情、数字に強く引きずられて判断してしまうバイアスがある。
 
感覚が低い相場水準に慣らされているから、ちょっと回復しただけでも、とても上がった気持ちになり、早めにprofit takeしてしまう。例えば私も2003年夏場からの回復過程で、新日鉄やトヨタの株を底値圏で買えていたのに、早めにprofit takeして、期待利益を失った。
 
あるいは91年までの不動産バブル、住宅価格高騰を経験し、93年頃にちょっと住宅価格が下がった局面で買ってしまい、結局高い買い物をしてしまった方々も少なくない。
 
「でも、まだまだと思っているうちにまた何か悪い事件が起こって(例えばイラクが湾岸封鎖の暴挙にでて原油価格暴騰で世界経済が失速とか)、一転急落とかなったらどうしよう?」とか思うのは人間の心の常、しょせん世界は不確実なんだから、絶対大丈夫なんてことはないと腹を括ろう。
 
今日3月14日の日経新聞の記事は次のように書いている。
 
 「(円安と株高の)連動性が一段と高まるようになったのは、海外のヘッジファンドによる取引だ。米景気回復や日銀の金融緩和を背景に、「グローバル・マクロ」と呼ばれるヘッジファンドが「円売り・株買い」の持ち高を膨らませている。そこに、相場の流れに追随する短期筋のファンドが同様の持ち高を増やし、株高・円安を助長している面もある。」
 
円高の修正と株価回復というのは、95年の1ドル=80円の超円高からの戻り過程に、今の局面は実に良く似ている。その次に待っている局面が1998年の危機の局面と類似したものでないと良いんだが・・・・目先よりちょっと先を心配しておこうか。
 
追記:3月14日
考えたくないリスク:首都直下大地震による日本財政破綻

「最悪のシナリオでも想定外にせず、考えろ」とは言うものの、3月13日付雑誌エコノミストで小黒一正一橋大学准教授が、2015年に首都直下型の大地震が日本を襲うと財政赤字がどうなるかというシミュレーション結果を披露している。

2020年までに家計の金融資産(現在1450兆円)の対する公債残高比率が90%を超える状況を「財政破綻」と呼ぶならば(その想定自体には議論の余地がありますが)、2015年に首都直下型大地震が起こると「70%の確率で財政は破綻する」という。
...
円安、株安、国債暴落シナリオになるね。
そんなことが起こる前に、やはりまずフローの財政の均衡化を実現する必要がある。
天よ日本を見捨てたもうな・・・・・・(>_<)
以下ご参考
 
追記2 3月15日
本日の日経新聞「経済教室」翁教授の論考、以下の部分、これも一歩先のリスクとして念頭にいれておこう。
「デフレ脱却が展望された時点では、物価のゴールを守るために国債購入を平時モードに戻す必要が生じる。その時点で財政再建の道筋がついておらず、日銀の購入拡大が国債市場の価格形成に組み込まれる形で金融政策の財政化が進行していれば、金融システム安定と物価安定に深刻な矛盾が生じる」
 
2、自助哲学
facebookで既に書いたが、昨日3月13日の日経新聞「経済教室」で北岡伸一教授の以下の部分に共感した。
 「多くの人が「安全・安心」を強調する。しかし大事なのは安全の確保であって、安心の確保ではない。安心を強調するのは、実はお上に依存するということである。 国民が安心を求め、リスクをゼロにせよといえば、政府はこれに答えて、リスクはゼロだという。こういうフィクションはやめるべきだ。人生はリスクに満ちている。リスクを直視し、これをできるだけ減らすように様々な努力をし、あとはリスクを取って行動することが必要だ。日本の経済発展の停滞も、根源にあるのはリスクを取らない精神ではないだろうか。」
 私も何かというと「安全・安心」と重ねて繰り返す政治家の姿勢とそれを要求する「世論」をおかしいと感じていたので共感する。 客観的に実現できるのは確率的に検証できる「安全」まで、「安心」は主観の問題であり、政府は政策でそれを保証することはできない。
 同様に「幸福度指数」なんて発想もバカげたものだと思う。幸福は個人の主観的な次元の問題、政府が政策でコミットし得るのはデータで計測できる経済成長や雇用までだ。 「私を幸福にする政策をしてくれ」と政府に要求することのバカバカしさを考えれば自明だろうと思う。
 投資経験の良いところは、様々な成功、失敗の度合いはあっても、それを通じて自己責任原則、自助の精神を養うことができるころじゃなかろうか。
 

「偶然の科学(Everything Is Obvious)」(ダンカン・ワッツ)早川書房、2012年2月を読んだ。
(↑例によってアマゾンにレビュー載せました。「参考になった」クリックお願い致します。m(__)m)
 
著者はコロンビア大学の社会学の教授で、ネットワーク理論を専門にしている。
英語の原題に首をかしげる方もいるだろうが、これは偶然の連鎖で引き起こされたような結果でも、人間は後知恵で解釈する強い性向があるために、必然的な因果の結果だったと考えてしまう(つまりそうなるのは自明だったと思ってしまう)認知上のバイアスのことを意味している。
 
そしてこのような認知上のバイアスによって出来上がった「常識的な知恵」が、私達の日常の選択から政府の政策まで支配している結果、様々な不毛で非合理的な選択が繰り返されると説く。しかもこうしたバイアイは歴史学や経済学などの繰り返し実験することが困難、あるいは不可能な研究領域を対象にした学問の世界にも根強く見られると指摘する。
 
そうした視点から様々な問題が論じられているが、例えば社会学者が「ミクロ-マクロ問題」と呼ぶ視点はとても普遍的な問題を扱っている。これは例えば社会学や経済学の分野では、個人のミクロ的な選択から実社会のマクロ的な現象をどう導きだして理解できるかという問題であり、また原子から分子、分子からアミノ酸やたんぱく質、タンパク質から生命をどう説明できるかという問題だ。
 
筆者は、ミクロの階層からマクロの階層を直接的に説明するのは不可能であり、それは階層をひとつ上がる毎にミクロの層には還元し切れない「創発現象」が起こるからだと説く。こうした複雑系の厄介な問題は予測可能性という期待を打ち壊してしまう。(p73)
 
ところが人間はそれでも後知恵解釈で起こった出来事に対して偽りの因果連鎖を想定し、そうした偽りの因果連鎖やそれに基づく教訓が「常識」として横行すると論じる。
 
例えば、ミクロ経済学では方法論的個人主義の立場が支配的で、「代表的個人」「代表的企業」というものを想定することでモデルを構築する。そうやって作られる「経済学者の数理モデルは、経済の途方もないほどの複雑さを全く体現しようとしない」(p75)と批判する。 こうしたアプローチは複雑性を排除することで、「マクロ経済学のマクロたらしめている核心を無視している」 
 
方法論的個人主義の父とみなされている経済学者のシュンペーター自身が、代表的個人アプローチは欠陥があって誤解を招きかねないと酷評していると言う(p75)
 
この点は経済学分野からは反論があろうが、私はむしろ著者に共感してしまう。マクロ経済学のミクロ的な基礎を構築するというのが、例えばネオケインジアンのやってきたことであるが、私にはバブルの形成やその崩壊など重要な創発現象を(試みてはいるが)リアルに説明できていないと感じているからだ。
 
それに続いて紹介される「暴動モデル」も興味深い。これは個人が他人の選択に影響を受けるという前提で、100人の集団を想定し、ある人は他人の選択の影響を最も影響を受けやすく、ひとりが暴動を起こすと自分も暴動に参加する。次のひとは2人暴動を起こすと自分も暴動に参加する。最後の人は99人が暴動を起こすまで自分は参加しない、というように異なる影響度を設定する。
 
この場合は、ひとりが暴動すると連鎖が起こり、100人全員が暴動する。ところが、ひとりだけ暴動感染度を変えて、2人が暴動を起こすと暴動に参加するひとを除き、代わりに3人が暴動を起こすと暴動に参加する人に置き換えるとどうなるか(3人暴動で同調する人が2人になったわけだ)? 2人の暴動が起こっても、それで暴動に参加する人が抜けているので、暴動は2人どまりでおしまいになる。
 
この2つの集団構成の相違は、たった100分の1に過ぎないが、最初のひとりの暴動というインパクトに対して集団全体が暴動する結果と、2名しか暴動しないという全く極端に異なった結果がもたらされるわけだ。 
 
これは極めて単純化した例だが、プレーヤーが他のプレーヤーの行動の影響を受けるという条件を加えると、システム(集団)の変化は僅かな変化で著しく異なる結果に至る場合が生じ、要するに事実上予測不能になる、ということだ。標準的なミクロ経済モデルがプレーヤーの独立した意思決定を想定したがるわけも、良くわかるね。
 
暴動をバブルに置き換えると、経済的な含意は興味深い。同じような金融緩和の下でも、それが大バブルに至る場合と、そうでない場合の違いは実は極めてわずかであり、事実上予測も制御も不可能であるかもしれないのだ(断定を避けて「かもしれない」と言っておきたい)。
 
またエコノミストやアナリストは「こうなる確率は20%」とかよく語る。私自身もついそういう書き方はしている。しかしサイコロのように何度も同じ条件で繰り返される事象に対して、「特定の目がでる確率は6分の1だ」ということと、選挙結果や多くの経済現象のように同じ条件で繰り返されることがない、つまり一回限りの歴史的現象について、例えば「オバマ再選の確率は**%だ」「今年、景気の回復が持続する可能性は**%だ」ということは明らかに意味が違う。
 
後者の場合はどういう意味があるのだろうか?(p162) これは難しい問題だ。本当は確率など語れないのだが、そういう表現法をすると客観的な印象を与えるので使用されているだけだ、という言い方もできる。
 
ただし、多少弁護しておくと、エコノミストも全くの主観で**%とみな言っているわけじゃなく(そういう方も沢山いるが)、過去にAならばBという同種のパターンが繰り返し観測され、因果関係があると判断される場合に、その経験則に基づいて、「現状はAだからBになる、その確率は過去データに基づく限り**%」という判断は最低限許されるのではないかなと思う。そうでもないと、私達は将来起こり得る事態に対して全く何も語れない、わからない、手がかりもない、ということになるからね。
 
もっとも本当に重要な変化は過去の経験則や相関関係をひっくり返すような形で生じることがある。しかもバブルの時にも見た目上は同様の「過去にないような変化」が登場し、期待感が過剰に高まってしまうこともある。その違いを事前に見抜く一般ルールはとりあえず、見出せそうにない。以上は著者ではなく私のコメントだ。
 
最後に本書の本論からはちょっと脱線するが、伝説的なファンド・マネジャー、ビル・ミラーについて逸話が書かれているので記録のために抜き書きしておこう(p249)。
 
かれの投資ファンド、Value TrustはS&P500を15年連続で上回るパフォーマンスを上げ、同様のことを成し遂げた例は他にないそうだ。 ところが連勝記録の途絶えた2006年から2008年の3年間はボコボコのやられとなり、その結果、ミラーの実績は過去10年間の平均はS&P500のそれを下回る水準まで落ち込んだそうだ。 さてミラーは天才だったのか、それとも10万匹サルの中の運の超良かった一匹に過ぎないのか?
 
本書と関連した最近の書籍としては以下の2点をあげておく。
 
 
 
 

映画「ドラゴン・タトゥーの女」を見て原作を読みたくなり、原作「ミレニアム」シリーズ(全3巻)読了した。
読み応えのある小説だ。面白かった。 
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これはスウェーデンのジャ-ナリスト、Sラーソンによる小説で、舞台もスウェーデンだ。日本人にとってはスウェーデンという国は、性的な放縦さと福祉国家(消費税率25%)のイメージであろう。小説では非合法移民を搾取、人身売買する犯罪組織、国家権力組織(公安組織の一部)の暴走、子供・女性に対する男性の暴力、性的な虐待など社会の闇の部分にスポットが当たる。
 
 
今回ハリウッドで映画化されたのは原作の第1巻だ。おそらく今後第2、第3巻も映画化されるのだろう。実は今回の映画化に先立ってスウェーデン映画として映画化されており、DVDを借りて見たが、そちらは私には面白くなかった。 好みの違いもあろうが、やはり映画はアメリカ仕立てが面白い。
 
一見わりと地味な展開の物語なんだが、一番の魅力はリスベット・サランデルという20歳代のヒロインのキャラだ。それにミカエルという40歳代の男性ジャーナリストがサブの主人公となって展開する。
だから、映画化して面白いかどうかは、まさにこの難しいヒロイン役を女優が上手く演じることができるかどうあにかかっている。
 
この点、ハリウッド版の女優、ルーニー・マーラは原作のキャラを見事に演じている(アカデミー賞にノミネートされた)。ジェームズボンド役だったダニエル・クレイグもまずまず。
 
ヒロイン、リスベットのキャラの何が魅力か? 彼女は母、娘(リスベット)とも父親の暴力、虐待を受けて育ち、それがトラウマになっている。母を守るために父に反抗し、もう少しのところで彼を焼き殺す。そのため精神病棟に入れられて権力と結託した医師から理不尽な拘束を受け、限られた人にしか心を開かない。しかし実は精神不安定でもなく、飛び抜けた集中力と行動力があり、ハッキング能力を磨いて天才的なハッカーとなる。
 
ひどく極端なキャラ設定なんだが、実はこれが多くの人の共感を引き起こす要素になっている。というのは、誰しもトラウマとまでは言わないにしても、子供の時分、学校の教師や親、その他の大人が子供の自分に対してとった理不尽な態度に怒り心頭に達した経験はあるだろう。
 
しかし子供だから、上手に抗議も反抗もできず、悔しい想いが記憶の底に沈んでいる。その悔しさの記憶は、時間を巻き戻してあの時に戻れるなら、「こう言ってやりたい」、「こうやってやりたい」という一種の復讐の情念にもなっている。
 
リスベットのキャラは、そうした誰の心の底にもあるような「悔しさと復讐の情念」を極端な形で先鋭化したものなんだ。しかもリスベットのトラウマは、当時の権力機構(公安の一部)が父親の背後にあったおかげで、個人的なものにとどまらず、最終的には権力組織の一部との対決に発展する。
 
その過程で、「国益、安全保障」名の下に不正を働き、それがばれそうになると組織保身のために手段を選ばない隠蔽工作に走る連中の醜さが描かれ、リスベットと彼女を助けるジャーナリスト・マイケルの闘いは、権力の陰謀を暴く一大事件に発展するというのが、2巻と3巻の展開だ。
 
1巻ではまだリスベットは「謎っぽい女」という以上の説明がなされないので、彼女のキャラで物語にぐいぐい引き込まれるのは実は第2巻からだ。 第3巻はリスベットの復習編という位置づけになる。
 
似たモチーフの小説では「岩窟王、モンテクリスト伯」を思い出す。無実の罪を着せられて孤島の牢獄に入れられるが、脱獄し、ひょんなことから巨額の大金を手にいれた主人公が自分を陥れた金持ちや権力者に復讐を果たす物語だ。う~ん、設定は違うが、モチーフは実にそっくりだと思う。
 
ところで、原作者のSラーソンは2004年に原稿を書き終えた直後に心筋梗塞で死んでしまった。まさか権力の闇を暴き過ぎたので暗殺されたわけではないと思うが・・・。
 
竹中正治HP

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