本日の日本経済新聞1面記事「(1)危機が世界を変えた」に首をかしげた。
引用:「米マッキンゼーによると、危機で失われた金融資産は約2700兆円。一方、この5年で主要国政府の債務は約1800兆円増え、日米欧の中央銀行は500兆円を新たに供給した。主要国の公的部門がざっと2000兆円を肩代わりして世界を支えてきた格好だ。」
記事の「危機で失われた金融資産は約2700兆円」という数字は以下のマッキンゼーのレポートに基づいているようだ。
(上記サイトのフルレポートの2ページのグラフ)
このグラフが示すように、2007年末まら08年末にかけて世界全体の金融資産は株価時価総額の減少で202兆ドルから176兆ドルに26兆ドル(約2700兆円)減少している。
しかし2010年末には同数字は212兆ドルとなり、07年のピークを越えているので、これをもって「失われた金融資産は2700兆円」と今の時点で言うのはどう見ても合点がいかない。2012年末のデータはないが、先進国の株価の上昇から推測しておそらくさらに増えているはずだ。
「この5年間で政府の債務は1800兆円増え・・・主要国の公的部門がざっと2000兆円肩代わりして世界を支えて来た」と書いているので、記事は金融資産の絶対額よりも、内訳の変化を問題にしているのかもしれない。
しかしマッキンゼーのグラフは当然ながら政府債も内訳に入っている。2007年末から08年末にかけて、「2700兆円」の減少が起こった期間の政府債務(public debt securities outstanding)の増加は2兆ドル(約200兆円)に過ぎない。07年末から2010年末までの同増加は11兆ドル(約1100兆円)だから、日経記事はこの図にはない2012年末までの増加を別のデータに基づいて2000兆円と書いているのだろう。
それだったらば、文章前半の総金融資産の変化についても07年末から12年末の変化を対応して示すべきであろう。その場合は株価などの回復・上昇により総金融資産残高は増加しているので、「失われた金融資産」という含意そのものが否定されるだろう。
要するに期間の整合性のない都合のよい恣意的な数字を並べただけで、論理的に支離滅裂な内容になっている。 私が上司だったら、こんなレポートを書いた部下は「不可→書き直し」である。
まあ、それでも我慢して記事の意図をくみ取るとすると、総金融資産の内訳の変化に見られるように、株や社債などの民間金融資産・負債の増加よりも政府債の増加が過去5年間大きいこと、つまり内訳がシフトしていることをもって、成長モデルが混迷していると言いたいのだと理解しよう。
しかし過去に大きな不況や金融危機の際に政府債務が、民間の需要減少を補完するために大きくなることは繰り返されてきたことだ。不況や危機後の一定期間(ここでは5年間)だけをとれば、民間の株や債券残高→政府債務残高のシフトがみられることは毎度のことだ。
問題は過去5年間の変化が、もっと長期的な趨勢的なトレンドから乖離を引き起こしているかどうかだろう。それだったならば、「危機が世界を変えた」と言えるような構造変化が生じていると言ってもいいだろうか。
その視点から上記マッキンゼーの図表を再度見て頂きたい。
金融資産各項目の長期、短期の年率の変化率が示されている。
これを見ると以下の通り。 1990-09 2009-10
public debt securities outstanding 7.8% 11.9%
stock market capitalization 8.1% 11.8%
金融資産全体 7.2% 5.6%
以上を見ると、民間経済の活力を示す指標として株価時価総額の変化と政府債の増加率は90年以降ほぼ並んでいる。一般事業法人の社債発行残高の増加率にも趨勢的な変化は見られない。
唯一、金融機関の債券発行残高は横ばいかやや縮んでいるが、これはレバレッジを拡張し過ぎた欧米の金融機関が2008年以降デレバレッジと言う調整を強いられている結果であり、むしろ正常化のプロセスだろう。
以上の通り、数字を整理して理解すると、もし問題があるとすれば、それは2008年以降に起こった変化ではなく、むしろ1990年以降、世界的に趨勢的な政府部門の債務増加が続いているということであり、これは2008年に急浮上した新しい問題ではなく、以前からある長期にわたる問題だということになる。
要するに「危機が世界を変えた」のではなく、危機前のずっと続いている問題(政府債務の膨張)が次第に大きくなっているだけだ、ということになるのだが・・・・
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