日本共産党はなぜポツダム宣言を絶対視するのだろうか?
「歴史」は多くの場合、勝者の語るストーリー・記録が、圧倒的な影響力を持つが、歴史の実相は勝者と敗者双方の主張・記録を見てみないとわからない。こんなことは常識だと思うが、日本共産党は第2次世界大戦の勝者の「宣言」を歴史認識の上で絶対視しているようだ。
以下は今週話題になった国会での共産党志位委員長による首相質問場面の動画である。
要するに、日本はポツダム宣言を受け入れて降伏した。そのポツダム宣言では今次の戦争は日本とドイツの結託による世界征服のための戦争だったと書かれている。したがって首相もそれを歴史認識として受け入れるべきだという論旨である。
ポツダム宣言、第6条項:「日本の人民を欺きかつ誤らせ世界征服に赴かせた、影響勢力及び権威・権力は永久に排除されなければならない。」
しかし、こうした政治外交文書の記述は歴史認識の上で重要な資料であるが、それは当時の連合国側が日独伊同盟国側を「世界征服を目的に戦争を起こした」と主張していたという事実を示すにとどまるものだろう。 その文書自体が歴史認識となるべきと出張するなら、歴史認識は全て勝者の記録のみで足りるということになってしまう。
ちなみに、私自身は日本の対中国戦争は侵略的な性質を持っていたし、対英米の太平洋戦争も回避すべき戦争だったと(その意味で誤った戦争だった)と考えているが、当時の日本政府・軍部の意図が世界征服だったとはとうてい認識できないと思う。
なぜ共産党はポツダム宣言の記載を絶対視するのか? 共産党の綱領を読んだら、その理由がわかった気がした。(以下)
日本共産党綱領から抜粋引用(太字は筆者の強調):「日本帝国主義は敗北し、日本政府はポツダム宣言を受諾した。反ファッショ連合国によるこの宣言は、軍国主義の除去と民主主義の確立を基本的な内容としたもので、日本の国民的な活路は、平和で民主的な日本の実現にこそあることをしめした。
第二次世界大戦における日独伊侵略ブロックの敗北、反ファッショ連合国と世界民主勢力の勝利は、日本人民の解放のための内外の諸条件を大きくかえ、天皇制の支配のもとに苦しんでいたわが国人民がたちあがる道をひらいた。
戦後公然と活動を開始した日本共産党は、ポツダム宣言の完全実施と民主主義的変革を徹底してなしとげることを主張し、天皇制の廃止、軍国主義の一掃、国民の立場にたった国の復興のために、民主勢力の先頭にたってたたかった。党が、「人民共和国憲法草案」を発表したのは、この立場からであった。
わが国を占領した連合軍の主力が、原爆を武器として対ソ戦争の計画をもち新しい世界支配をねらうアメリカであったことは、日本国民の運命を、外国帝国主義への従属という歴史上かつてない状態にみちびく第一歩となった。
世界の民主勢力と日本人民の圧力のもとに一連の「民主化」措置がとられたが、アメリカは、これをかれらの対日支配に必要な範囲にかぎり、民主主義革命を流産させようとした。
現行憲法は、このような状況のもとでつくられたものであり、主権在民の立場にたった民主的平和的な条項をもつと同時に、天皇条項などの反動的なものを残している。天皇制は絶対主義的な性格を失ったが、ブルジョア君主制の一種として温存され、アメリカ帝国主義と日本独占資本の政治的思想的支配と軍国主義復活の道具とされた。
アメリカ帝国主義は、世界支配の野望を実現するために、ポツダム宣言をふみにじって日本を事実上かれらの単独支配のもとにおき、日本を軍事基地としてかためながら、日本独占資本を目したの同盟者として復活させる政策をすすめ、日本人民の解放闘争を弾圧した。」
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というわけで、ポツダム宣言が単なる勝者の主張ではなく、日本共産党にとって金科玉条になり得るのは、それが「反ファッショ連合国と世界民主勢力」の勝利の成果と位置付けているからである。一方で、それは戦後直後に、世界支配の野望を抱く米国の手によって捻じ曲げられた、という歴史解釈を共産党はしているわけだ。
しかしながら、「米国の世界支配の野望」が事実なら、それは1945年以降突然生じたわけではないだろう。 同時に連合国の中で米国は軍事力も政治力も圧倒的な存在だった。そうすると連合国側から「世界支配の野望を抱く米国」を除いた「反ファッショ連合国と世界民主勢力」というのは、いったいどこの国、どの勢力だったんだろうか?
ソ連だろうか?中国共産党?
ソ連については、綱領の後段で次の様に記載されている。
引用:「ソ連では、レーニンの死後、スターリンを中心とした指導部が、科学的社会主義の原則を投げすてて、対外的には覇権主義、国内的には官僚主義・専制主義の誤った道をすすみ・・・」
第2次世界大戦中は既にスターリンの独裁支配が確立していたから、このように規定される国が
「反ファッショ連合国と世界民主勢力」だったとは言えないだろう。
中国共産党との関係については綱領にはほとんど記述がないが、1950年に日本共産党が各派に分裂し、1951年に当時の主流派は、中国共産党の強い影響下で、反米武装闘争の方針を決定し、中国共産党の抗日戦術を模倣したことがある。
当時の非主流派の国際派(これが今日まで続く現存派)は、この当時の武装派を「間違った路線」「中国盲従派」と否定し、長きにわたり中国共産党と日本共産党は相互に批判し合う関係だった。
要するに、ポツダム宣言をそれほど高く評価する根拠としての「反ファッショ連合国と世界民主勢力」というピカピカに健全な勢力なんてものが、そもそも存在していたのか、ということだ。
私の意図はポツダム宣言の内容を否定することではない。むしろ以下の様な当時としては先進的な条項を含んでいたことを評価したい。
第10項目:「われわれは、日本を人種として奴隷化するつもりもなければ国民として絶滅させるつもりもない。しかし、われわれの捕虜を虐待したものを含めて、すべての戦争犯罪人に対しては断固たる正義を付与するものである。日本政府は、日本の人民の間に民主主義的風潮を強化しあるいは復活するにあたって障害となるものはこれを排除するものとする。言論、宗教、思想の自由及び基本的人権の尊重はこれを確立するものとする。」
第12項目:「連合国占領軍は、その目的達成後そして日本人民の自由なる意志に従って、平和的傾向を帯びかつ責任ある政府が樹立されるに置いては、直ちに日本より撤退するものとする。」
しかしながら、それでも同宣言は、米英ソ連を中心にした連合国側の政治的な主張、認識に拠ったものであり、同宣言を金科玉条にして、「日本の戦争の動機は世界征服だったのであり、それを認めないのは当該戦争を正当化するのものだ」という志位委員長の論法は、控えめに言ってもかなり奇妙な議論だと思う。
補足追記:ポツダム宣言についてwikiから引用しておきます。
「ナチス・ドイツ降伏後の1945年(昭和20年)7月17日から8月2日にかけ、ベルリン郊外ポツダムにおいて、米国、英国、ソ連の3カ国の首脳(アメリカ合衆国大統領ハリー・S・トルーマン、イギリスの首相ウィンストン・チャーチル、ソビエト連邦共産党書記長ヨシフ・スターリン)が集まり、第二次世界大戦の戦後処理について話し合われた(ポツダム会談)。
ポツダム宣言は、この会談の期間中、米国のトルーマン大統領、イギリスのチャーチル首相と中華民国の蒋介石国民政府主席の共同声明として発表されたものである。ただし宣言文の大部分はアメリカによって作成され、イギリスが若干の修正を行なったものであり、中華民国を含む他の連合国は内容に関与していない。
英国代表として会談に出席していたチャーチル首相は当時帰国しており、蒋介石を含む中華民国のメンバーはそもそも会談に参加していなかったため、トルーマンが自身を含めた3人分の署名を行った(蒋介石とは無線で了承を得て署名した)。」
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以上wikiではポツダム宣言は「宣言文の大部分はアメリカによって作成され、イギリスが若干の修正を行なったもの」と書かれています。
そのアメリカについて日本共産党の綱領では 「わが国を占領した連合軍の主力が、原爆を武器として対ソ戦争の計画をもち新しい世界支配をねらうアメリカであったことは、日本国民の運命を、外国帝国主義への従属という歴史上かつてない状態にみちびく第一歩となった」と書かれています。
wikiの指摘が正しいとすると、日本共産党は、同時代のアメリカを一方では「反ファッショ連合国と世界民主勢力」の代表として、同時に「世界支配の野望を抱く国」とも位置付けているわけで、なかなか興味深い矛盾を呈していると言えます。
近著「稼ぐ経済学~黄金の波に乗る知の技法」(光文社)2013年5月20日
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