たけなかまさはるブログ

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2015年12月

「新興国通貨の対ドル下落はまだ序の口」

毎度のトムソン・ロイター社でのコラムです。ただ今掲載されました。

冒頭引用:「2014年下期以降、主要な新興国の通貨は米ドルに対して大幅に下落してきた。しかし、これはまだ下落の序曲かもしれない。その可能性は十分にある。

その場合、ドル超低金利時代にドル負債を膨張させ、自国通貨などに転換して投資していた新興国の企業や諸機関は一層の為替損失増加に追い込まれる。それが通貨・金融危機として激発的な形で実現するか、あるいはボディーブローのように新興国経済の足を引っ張るか、どちらのシナリオになるかはわからないが、大きなリスク要因として注目しておこう。

とりわけ、日本ではブラジルレアルやトルコリラの高金利につられて、こうした通貨の対ドル買い持高(ロングポジション)を組み込んだ投信などが、過去大量に個人向けに販売されてきた。こうした投信は基準価格の下落ですでに大幅な含み損を抱えているが、損失はまだ膨らむ公算が高いと思う・・・」
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ロイター社サイトでは図がひとつしか掲載できないのでドル相場指数(Broad)の名目と実質ベースのみ掲載だが、以下にMajorとBroadの双方を掲載しておきます。平均値からの直近時点の乖離がかなり違うのが見た目にもわかるでしょ。解説はロイター社のコラム本文をご参照。


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Star Wars, The Force Awakensの封切りを祝って、10年前の Revenge of the  Sithについての評論を再掲しておきます。当時、私はワシントンDC勤務、この評論はワシントンDC日本商工会の会報(月報)に掲載されたものです。

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2005年6月1日
「悲劇のループ:映画Star Wars, Revenge of the Sith」
【盛り返した完結編】
スターウォーズ・シリーズはエピソード1 “Phantom Menace”あたりから私には新鮮さが感じられなくなった。前回作のエピソード2“Attack of Clones”も見たが、あまり記憶にも残らないほどの薄い印象で終わった。だから今回の完結編エピソード3“Revenge
of the Sith”にも期待していなかった。しかし、さすがに完結編、前回2作とは異なり、見応えがあった。
 
ご存知の通り、このシリーズは“StarWars”として1977年に発表されのがエピソード4で、その後エピソード5“The Empire Strikes Back”、エピソード6“Return of the Jedi“と物語の年代順にストリーが展開。その後、前史に遡ってエピソード1,2,3と製作、発表された。 この「宇宙チャンバラ大活劇」の完結編“Revenge of the Sith”では、これまでの5回の物語を通して残されていた「最大の謎」が解き明かされる。すなわち、ルーク・スカイウォーカーの父でジェダイであったアナケン・スカイウォーカーは何故ダークサイド(闇の力)に転向し、ダスベーダとなって帝国とエンペラーに仕えるようになったのか? 
 
【悲劇の筋立て:アナケンはなぜダークサイドに転向したのか】
ジェダイのオビワンによって見出されたアナケンは成長し、武功を上げ、共和国のジェダイとして活躍していた。ジェダイというのは銀河共和国を守護する一種の超能力騎士階級のようなものである。ジェダイの中でも指導者クラスはマスターと呼ばれる。 ジェダイ・マスターは評議会のメンバーとなり、政治的・軍事的な権力を持ち、
“Senate”と呼ばれる共和国議会に忠誠を誓っている。 
 
アナケンとの恋に落ちたパドマは妊娠し、子供の出産を待つ幸せな夫婦となるはずだったが、アナケンは悪夢にうなされる。最愛の妻パドマが出産とともに死んでしまう悪夢が繰り返される。 アナケンはこれが予知夢であると理解し、不幸な未来をなんとしても回避しようと決意する。
 
共和国のチャンセラー(首相、議長?)はアナケンに目をかけ、アナケンはチャンセラーを信頼するようになる。ところがチャンセラーはシス(Sith Lord)だった。シスというのは固有名詞ではなく、集合名詞である。シスはジェダイと同様にフォースを操るが、彼らは憎悪の情念を基底にしたダークサイドの力を信奉している。当時、共和国はドロイド軍(ロボット兵団)の攻撃を受けていた。実はこれはチャンセラーの仕組んだ「やらせ戦争」であり、彼はドロイド軍の黒幕として共和国を攻撃させ、戦争状態を継続させることで、共和国での自己への権力の集中を維持していた。
 
チャンセラーはアナケンに「ダークサイドの力はジェダイの力よりも遥かに強力であり、その力を手にすれば、パドマの死の運命さえも回避することができる」とアナケンに味方につけとそそのかす。 
チャンセラーがシスであったことを知ったアナケンは一旦はジェダイ評議会の指導者にこれを伝え、ジェダイ・マスターらがシスの捕縛に向う。シスとの戦闘でジェダイ・マスターがシスにとどめを刺そうとした時に運命が暗転した。 シスが死ねば妻パドマの死の運命を回避できるダークサイドの力も失われてしまうことを畏れたアナケンは、衝動的に介入し、あろうことかジェダイ・マスターの殺害に加担してしまう。 これを契機にアナケンはダークサイドの力にとり付かれ、シスの手先に転落する。
 
アナケンを味方に引き込んだシスは、ついに共和国を帝政に移行させ、自分が皇帝として君臨するために障害となるジェダイ集団を抹殺するクーデターを開始する。アナケンはシスの指令でジェダイ聖殿の子供達(訓練を受けている次世代のジェダイ)も殺してしまう。この後、アネケンは自らの師であったオビワンと対決することになる。ヨーダも同時に、皇帝シスに戦いを挑む。
 
ダークサイドに転落し、ジェダイ殺害の手先となったアナケンの変貌に妻パドマは、悲嘆絶望する。パドマはオビワンによって救出されるが、深い絶望のあまり生きる気力を失った彼女は双子を産み落として死んでしまう。アナケンの予知夢は現実となったのだ。この双子が後のルーク・スカイウォーカーとレイア姫である。
 
【不条理な因果律:悲劇のループ】
映画を見てこのプロット(筋立て)に、「あれ、ちょっとおかしいじゃない?」と思ったら、あなたの論理感覚は正常である。妻のパドマが死ぬという未来予知がなければ、アナケンはシスのダークサイドへの誘いにのらなかったであろう。その結果、パドマの絶望と死も起こらなかった。従ってパドマの死の予知夢も起こらなかったはずだ。つまり因果関係が循環しているのである。不条理ではないか? 
 
ひとつの解釈としては、パドマの死の予知夢はシスがアナケンの心に仕掛けた罠だったと理解することもできるかもしれない。パドマが死ぬ悪夢にアナケンが悩まされていることを、シスは言われずに気がついていたからだ。アナケン自身の予知だったのか、それともシスのマインド・コントロールだったのかはともかく、予知夢は現実となった。
 
不幸な未来予知があり、それを回避する人間の選択が逆に予知された不幸な結末の原因となるというプロットは、実は古典的な悲劇のプロットである。「映画“Million Dollar
Baby”:生と死の淵のおける孤独な決断」でも引き合いに出したが、ギリシア古典悲劇の「オイディプス王の物語」を思い出して頂きたい。「今度生まれてくる自分の息子に殺されるであろう」という神託を受けた王は、生まれた子供(オイディプス)を捨てる。しかし子供は拾われて、自分の出生を知らぬままに育ち、旅の途中で偶然遭遇した王を父と知らずに殺害してしまう。 この物語を始めて読んだ時(高校生の時であるが)、「おかしいじゃないか?」と感じた。 未来予知の神託がなければ王は生まれた子供を捨てることもなく、子供が自分の出生を知らずに王を殺害することもなかった。従って神託も成り立たなかったはずである。「未来予知回避行動予知の自己実現」という通常の因果関係では有り得ない連鎖となっている。ジョージ・ルーカスはアナケンがダークサイドに転落し、ダスベーダとして悪の皇帝の手先になる筋立てに、古典的な悲劇のプロットを使用したのである。
 
映画MatrixReloadedでも、主人公ネオは最愛のトリニティーがビルから落ちて死ぬ夢に悩まされた。やはりこれは予知夢で、やがてMatrix内での現実(?)となる。しかしこの場合は、未来を予知した上での主人公ネオの回避行動が、予知された結果の原因とはなっていないので、通常の因果律は崩れていない。
 
通常の因果律では現在から未来へと原因と結果の連鎖が起こるのに、この種の悲劇のプロットでは、未来が現在の原因となり、同時に現在が未来の原因となるようなループ状に閉じられた形になっている。どうしてこうした転倒した構造が悲劇のプロットと受け入れられるのであろうか?
 
 
【予想の自己実現】
まず考えられることは、「悲劇を回避する選択が悲劇の原因となる」という筋立てが、悲劇を「逃れられない運命」として描くことで、運命に捕らわれた人間の絶望を強調する効果があるのだろう。古代ギリシア人は、その運命の契機となる未来予知を「神託」として描き、現代のSFは未来予知超能力として描いたのだ。 しかしこうした筋立て上の効果が、古今東西受容される理由は、人間の基本的な存在のあり方に根ざしているのかもしれない。
 
私達人間は、頭の中になんらかの「観念化された外界のモデル」を持っていて、このモデルをシュミレーションすることによって、これからを起こることを予想し、自分の行動を選択しようとする動物である。例えば、あるニュースに接して、大勢の市場参加者が株式を売り、その結果相場が下がると予想すれば、株式を売るという行動を選択する。同様の予想と選択を多くの市場参加者が行えば、「相場下落の予想」は自己実現的に相場の下落を結果する。上げ相場では逆の方向に同様のことが起こる。 

こうした予想の自己実現効果は相場現象に止まらない。社長が会社の将来に悲観的になれば、社員にも悲観的な予想が広がり、優秀な社員は会社を見限って他社に移り、結果として業績は益々悪化し、ついに会社は破綻するかもしれない。このような不幸の自己実現プロセスを私達は経験しているからこそ、因果関係がループ状に閉じた悲劇的運命の筋立てを受容するのではなかろうか。
 
【運命のループを断ち切る者:“Returnof the Jedi”の含意】
勿論、人間自身も含めた物理的存在としての外界は、主観的な意識からは独立した実体を持っている。従って「売るから下がる、下がるから売る」というループ状の因果律が産み出すトレンドはどこかで限界に達し、永遠には続かない。行過ぎた相場は反転する。 予想の自己実現のプロセスはやがて自己否定のプロセスに転じ、予想は裏切られ始める。
 
こうして、悲劇の運命にもループ状の因果律が壊れる時が来る。アナケンとパドマの残した双子、ルークとレイアは帝国皇帝とダスベーダにやがて戦いを挑む。
エピソード5“The Empire Strikes Back”で、ダスベーダはルークとの戦いの中で語る。
“I am your farther. This is your destiny. Join us.” ダスベーダは運命の繰り返しを説いているのである。これに対して No!と叫ぶルークはエピソード6“Return of the
Jedi”で運命の繰り返しを拒絶し、ダスベーダに決戦を挑む。 ルークとの戦いに敗れたダスベーダは、自分が捕らわれた運命の罠を断ち切る戦いを息子ルークがしているのだと悟る。再び立ち上がったダスベーダは、ルークにとどめを刺そうとしていた皇帝を倒して、自分も息を引き取る。
 
私は長いこと判らなかったが、今始めて判った。“Return of the Jedi”とは「ジェダイに成長したルーク・スカイウォーカーの反撃」のことであると同時に、死の間際にダークフォースの呪縛を絶ち、本来の心を取り戻したアナキン・スカイウォーカーのジェダイとしての復活のことだったのだ。
 
                                                     以上
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GDPの限界」という議論はこれまで繰り返しなされてきた。私が大学生だった1970年代後半、朝日新聞が「くたばれGDP」という特集をやったことがある。1960年に自民党池田内閣が打ち出した所得倍増政策が文字通り成功し、戦後日本は「奇跡の復興」と高度成長を経て60年代後半には世界第2位のGDP大国になっていた。ところが「公害、貧困、住宅など様々な社会・経済問題は解決していないではないか」というわけだ。

 もっともGDPが大きくなればこれらの社会・経済問題が自動的に解決されるなどということは、経済学者も政治家も語っていたわけではない。所詮GDP1年間に一国内で生産される経済的な付加価値の総額を示しているだけだ。ただし一人当たりのGDPが大きく経済的に豊かな国ほど、そうした問題の解決に投入できる経済的な資源も多くなると言える。そういう意味で当時の朝日新聞の論調は的外れだった。

 その後も似たような論調は時折頭をもたげ、近年では「幸福度指数」なるものを巡る議論がひとしきりあった。「一人当たりGDPではブータンは途上国でも『幸せの国』だ」などという奇妙な言説がまことしやかに流れた。「幸福」とは客観的で観測可能な条件に依存する面はあるものの、究極的には個人の価値観と主観の問題であり、マクロ的に計測、集計できるものではない。そうである以上「マクロ的な幸福」を政策目標にするのは愚かしい限りだ。     
 
 それでは今日のGDPは適切に経済的な付加価値を計測できているだろうか?技術革新と産業構造の変貌の結果、実はこの点で大きな問題が生じている。MITスローンスクールのエリック・ブリニュルフソン&アンドリュー・マカフィー著の「セカンド・マシン・エイジ
The Second Machine Age)」(2015年、日経BP社)は第8章「GDPの限界」でこの問題を論じている。

 パソコンやスマホでインターネットを通じて様々な情報にアクセスできることは、わずか20年間で世界的に一般化し、今やそうしたアクセスなしでは私達の仕事も生活も成り立たなくなっている。しかもその情報の多くが直接的な対価なし、無料で利用されている。「値段がゼロだということは、公式の統計にはまず表れないということである。無料のモノやサービスも経済に価値を加えているが、GDP1ドルも加えない・・・だが、無料であっても無価値でないことははっきりしている。」(184㌻)

 「公式統計によると、今日のGDPに情報産業が占める割合はたった4%だ・・・4%と言う比率は、1980年代後半からまったく変わってない。」(186㌻)しかし私達がPCやスマホを利用する時間は著しく増えているし、それによって得られる情報量は桁違いに増えている。これは明らかにおかしい。今日の経済で生み出されている多くの情報サービスの価値がGDPからすっぽり抜け落ちていると言わざるを得ない、というわけだ。

 経済活動の新たな状況に対応できる新しい計測方法が求められているわけだが、その回答を私達はまだ知らない。1000年後に歴史学者は20世紀と21世紀の境目を「旧機械時代から新機械時代(The SecondMachine Age)への画期」として位置付けることになるのかもしれない。
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本件は(公益財団法人)国際通貨研究所のホームページ、メルマガ11月号に掲載された論考です。







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