たけなかまさはるブログ

Yahooブログから2019年8月に引っ越しました。

カテゴリ: 歴史

これは1950年代後半から60年代初頭の戦慄すべき中国現代史の一局面を描いた書である。著者はロンドン大学の教授で香港大学でも教鞭をとっている。
(アマゾンにこのブログと同じレビューを書いてあるので、ご覧になって参考になった方は「参考になった」をクリックしてくださいね(^^)v)

1958年の「大躍進政策」からその破綻、大飢餓に至る時代を対象にした書籍は多数あるが、中国の膨大な資料を丹念に引用しながら描かれた本書はその資料面での豊富さと網羅性において傑出している。

「一気に共産主義社会を実現する」という非合理的な情念(というよりは狂気)に取りつかれた独裁者毛沢東のイニシアチブで、共産党組織全体に狂気と圧政、民衆への暴力が横行した。結局、合理性のかけらもない政策が次々と破綻し、全国的な飢餓がひきおこされる過程が、詳細に描かれている。推定で4500万人が飢餓、拷問を含む組織暴力で死に追いやられた(当時人口は6億人台)。 
 
中国の故事に言う「苛政は虎よりも猛し」そのものだ。日本軍による中国侵略時の圧政と暴力すら、比較するとかすんで見える。 しかも、この時代の暴力と凄惨さは、1960年代半ばに始まる文化大革命の序曲でしかなかった。

その戦慄的な実態は、その規模と凄惨さにおいて、ナチスのユダヤ人殺戮、スターリンの大規模粛清、民族弾圧に匹敵する、あるいはそれを上回るものとして歴史に刻まれるだろう。本書はその歴史への「太い刻み」として今後必読の一冊となるだろう。

今の中国共産党は当時よりはモダンになったようにも見えるが、当時と同じDNAは1989年の天安門事件の時に顕在化した。今も同じDNAが潜在しているリスクを感じざるを得ない。

また北朝鮮では、本書に描かれた50年~60年前の中国と似通った状況が展開しているはずであり、これは過ぎ去った過去の出来事ではないとも言えようか。
ちなみに、日本では1970年代にはこうした「中国社会主義」の人命無視、圧政・弾圧の実態が情報としてはかなり流れてきていたが、1970年代後半になっても日本の左派の一部には依然としてこの時代を含めて中国共産党を賛美・礼讃する人々が根強く残っていたことも書き添えておこうか。あの方々は今どこで何を考えているのかなあ・・・。
 
 

 
本書はアメリカの最も知的で良質なリベラル派の立場から書かれたアメリカ経済史&精神史だ。
経済データが比較的信頼できる19世紀まで遡って俯瞰すると、アメリカ経済が順調な成長を遂げた時代には寛容と開放性、良心的な社会改良の思潮が興隆し、反対に経済成長が長く停滞した時代には差別と排他、デモクラシーから遠ざかる思潮が強まったことを、経済、文学、政治の知識を総動員して描かれている。

ただしこのパターンの例外は1930年代の大恐慌、大不況の時代であり、4人に一人が失業したこの空前の危機の時代には、この国家的な困難、問題を解決するための社会改革が実行され、それはその後の時代にも制度として定着した。この点で当時の大統領ローズベルトが高く評価されている。

著者の今日的問題状況への含意は明瞭だ。
戦後最大の金融危機と不況を経た今日、経済成長への悲観や経済成長それ自体への懐疑が唱えられている。しかし、筆者はそうした主張にはくみしない。本書の英語版は金融危機前の2005年に出版されたものであるにもかかわらず、本書を読む者は、「経済成長と社会正義のための改革に今こそ立ち上がろう」と鼓舞するメッセージを感じずにはいられないだろう。

著者はFRBのエコノミストも勤めた金融論を中心にしたマクロ経済学者(ハーバード大学教授)であるが、文学から政治に至るまでのその見識の広さと深さは驚嘆に値する。 私でもあと50年ぐらい勉強すれば、こういう文章が書けるだろうか、ははは、寿命が続かない(^_^;)

重厚な内容であるが、訳文は非常によく練り上げられており、実に読みやすい。
アメリカ社会の総合的な理解のために欠かせない1冊としてあげたい。
 
竹中正治HP

 

この週末、引き受けた書きものに追われているのだが、困ったことにこういう時に限って気晴らしにブログをいじりたくなる。
以下のgonchanさんのコメントに反応して、仮想対話が脳裏に浮かんだ。
「長年の住宅と株式の上昇という資産効果(および担保価値増大から来た借金)の恩恵から所得(9.5%の失業率)というフローへの対応変化はあとどれぐらいかかるのでしょうかね」
要するにアメリカの家計のバランス・シート調整が終わって、経済成長が巡航速度に戻るのに、あとどのくらいかかるか、という問題であろう。
 
仮想対話:船上のコロンブスと副官の対話
 
副官 「船長、この海をこのまま西に進めば本当にアジアに着くんですかい?」
コロンブス 「必ず到着する。間違いない」
 
副 「西の海の果てには巨大な滝があって、そこがこの世界の終わりで、その滝から落ちると奈落の底だって・・・・そう言っている奴もいるんですが・・・?」
コ 「そんなことは決してあり得ない」
 
副 「じゃあ、後どのくらいかかるんでしょうかねえ?水兵たちが不安がっていいるんですが・・・」
コ 「わからん」
 
副 「えっ!? わからないんですか?」
コ 「距離は推測したが、船の速度は風と海流次第だから、わからん」
 
副 「もうちょっと行ってみて、ダメだったら引き返すとか、考えてみませんか?」
コ 「全く考えていない」
 
副 「でも食糧にも限りがあるし・・・」
コ 「魚でも釣ろうか」
 
副 「水も限りがあるし・・・」
コ 「雨が降るだろう」
 
副 「戻りたいって騒ぐ水兵もいるし・・・」
コ 「船を降りて泳いで戻るがよかろう。止めぬ」
 
副 「・・・・・・わかりやした、食糧の足しに魚でも釣ってきます」
コ 「ご苦労、私はカツオのあぶり焼きが好物だ」
 
おわり

昨晩のNHKの「龍馬伝」
武田鉄也ふんする勝海舟が龍馬に言う。「日本は異国相手にどうしたらいいのか?おまえの考えを言ってみろ。ゆっくり考えて、心の中から上がってくる考えを言ってみろ。」

すると龍馬はう~ん、う~んとうなりながら、自分の剣術の経験から発想する。
「自分は剣術は強いが、人を斬りたくはない」
→「強い剣術士は戦わなくてすむ」
→「日本が強い海軍を持てば異国とも戦わずに日本の独立を守れる」
という着想を経て、攘夷派と違う「開国、富国強兵」というアイデアに達した。

ドラマだけど、世間の意見に流されずに、自分の頭で考えるってことの基本をみごとに描いていると合点した。
 
一方、攘夷派の武市半平太の発想法 「夷敵が大国じゃろうが、強かろうが、神州日本の土地を犯す以上は断固打ち払う」
あまりに観念的で、戦略も合理性も欠いている。
ところがこの発想法が、やがて旧日本軍、特に陸軍を支配してゆくと司馬遼太郎は「竜馬がゆく」で強調している。
 
旧日本軍だけではないだろう。今の日本にもそういう観念論的発想から抜け出せない方々がいるだろう。


龍馬、再論
私の友人の一人がEメールでこう言っていた。
 
「竜馬はどうしてああいう世界観になったんでしょうね。
世界観=Worldviewは人の行動の基礎になるものだと思うのですが、どうして土佐の
田舎であんなに大きな世界観を持てたのか、不思議です。」
 
「竜馬がゆく」を読まれた方はみな分かっていると思うが、司馬遼太郎は龍馬(ここでは史実の「龍馬」で統一します)の思想的な展開を「幕末・維新の奇跡」と位置付けながら、それが可能になったプロセスに関してひとつの解釈を提示している。
 
その1、龍馬はとにかく船と海が大好きだった。
その結果、江戸が黒船ショックに襲われ、「夷敵」の脅威に庶民は震え、武士は「壌夷」の感情を高ぶらせ始めた時、同じく黒船を見た龍馬は「すげ~、こんな船がこの世にはあったのか!わしもこんな船を操って海の向こうの世界にいってみたいぜよ」と他の多くの武士とは違う情念を抱いた。
異質なものに接すると恐怖を感じるか、好奇心に駆られるか、人間はいつも2つに分かれるね。
しかし、龍馬も人の子、最初は大勢の攘夷思想にのまれていたが、やがてかれの考えは攘夷ではなく、開国、貿易、そして富国強兵へと展開していった。海援隊の設立と活動はその第1歩だった。
ところが幕府は攘夷は事実上放棄するものの、開国、貿易の機会は幕府で独占し、ある意味で当然ながら幕藩体制の維持にこだわり、龍馬は「ならば倒幕するしかない」という点では他の攘夷派と一致していた。
 
その2、龍馬は渡米した勝海舟などと出会い、アメリカのデモクラティックな政治体制に関する知識に接した。このアメリカの民主政体を知って龍馬は驚き、惹かれる。自分の土佐藩、上士(主君山内家の家臣として土佐に移って来た武士)と下士(土着の長宗我部の元家臣)の厳しい身分制度への不満のエネルギーがデモクラシーの理念を知って急開花したわけだ。
その結果、彼の倒幕後の政権構想は、元首に天皇を戴きながらも議会を主とするという民権的な内容になった。これは明治の民権思想の先駆だろう。
 
その3、商家、坂本家の商才と陽気さ
開国、貿易という龍馬の発想の下地に、武士でありながら坂本家は商家でもあったことを司馬遼太郎は強調する。しかも、その家族、家風がえらく陽気だったとも書いている。ああ、陽気さ、なぜか豊かになった今でも日本に足りない雰囲気だな。なんでみんな簡単に悲壮になっちゃうんだろうか。
 
こう書くともっともらしいけど、やはり偶然を通じて展開する時代の転換というのは、その過程自体が奇跡的だなあ、と感じざるを得ない。
 
 

4月1日、龍谷大学の入学式がありました。

その後40名ほどの新入生にちょっと指導する時間があったので、

「NHKの大河ドラマ、龍馬伝を見ている人、手をあげなさい」と言ったら、
挙手ゼロ。
「ええっ!まさか、坂本龍馬は知っているよね?知っている人、手をあげなさい」
みな手が上がる。

最近の学生は新聞読まないだけじゃなくて、TVもみないんですね。
これじゃメディアも危機感いっぱいになるわけです。

「司馬遼太郎の『竜馬がゆく』文庫本全8巻、長いけど素晴らし歴史小説だから、必ず学生時代に読みなさい!」
これを言いたかったのですが、さて幾人の学生が読んでくれるでしょうかね。

ところでNHKの大河ドラマ「龍馬伝」のおかげの龍馬ブームですが、京都の土産屋にも龍馬が幕末の志士として活躍した地ということで龍馬グッズが並びます。高知県(土佐藩)ではもっとすごいらしい。

龍馬ブームは彼の没後今回で3度目らしい。
司馬遼太郎によると、明治維新後、龍馬は忘れかけられていた。
彼の存在が想起されてブームになったのは、1900年代初頭、日露外交交渉が決裂し、対露戦争不可避となった時だそうです。
大国ロシア相手に勝てるのか?ロシアのバルチック艦隊相手に日本海軍は勝てるのか?
当然のことながら国民の間にも不安心理が広がった時に皇室関係者が流したお話が龍馬の話だったと。(以下は記憶で書きますので不正確です。正確に知りたい方は、「竜馬がゆく」の文庫本第8巻、後書きを読んでください。
 
皇后様の夢に「幕末の志士、坂本龍馬」と名乗る人物が登場し、こう言ったそうな。

「自分は海援隊を作り、日本海軍の楚の構築に尽くしたものである。来る対ロ戦争ではバルチック艦隊との決戦が不可避でご心配であろう。自分はもはやこの世の姿ではないが、加勢致すので、お気持ちを強く持たれよ」とか。

皇后は坂本龍馬の存在を知らなかったが、それを側近に話すと、夢に出た人物の姿はまさに実在した龍馬の姿にそっくりだったと。
これを侍従だか側近だかの何某が世間に伝え、一気に龍馬ブームが広がったといいます。

まあ、でき過ぎたお話で、これを紹介している司馬遼太郎も政府・皇室周辺の土佐藩出身者によるフィクションの可能性もあると言っています。ただ、実際に日露戦争では日本海軍は世界の海軍史上例のないほどの完全勝利をバルチック艦隊相手に成し遂げてしまい、「龍馬の奇跡」はますます勢いを増したわけです。

第2回目のブームは司馬遼太郎の「竜馬がゆく」(1966年)が大ベストセラーになり、2年後にNHK大河ドラマとなって放映された時ですね。私もNHKドラマは見て、覚えています。戦後の焼け野原から高度成長を遂げ、東京オリンピックを実現し、ようやく自信を取り戻し始めた当時の日本人の心を揺さぶり、鼓舞する歴史小説だったと思います。

そして2010年の今のブームが3度目。2008年後半からの不況で経済が閉塞し(目下回復しつつありますが)、政治は政権交代を果たしたものの、どう見ても混迷している状況下、回天維新の時代を拓いた龍馬に憧れる気持ちは、私とて同様です。

あの世の龍馬は今の日本を見て、なんと言うだろうか。
「狭い日本でいじいじせんと、世界に飛び出さんかい」と言うのだろう。
 
ちなみに、史実上は「龍馬」、司馬遼太郎の小説は「竜馬」だそうです。

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