これはたまげた。ぶったまげた。
facebook知人が薦めていたので「勝ち続ける意志力」梅原大悟、(小学館101新書、2012年)を読んだ感想だ。
 
私はプロ・ゲーマーという世界があること自体知らなかったが、著者梅原は格闘技ゲームの世界にのめり込み、信じられないような集中力と執着心でゲーマーの一種の世界選手権で優勝する。
 
著者はまだ31歳、しかしその格闘ゲーマーとしての勝負を語る言葉は、まるで数百の戦いを血を流しながら生き抜いてきた剣豪の言葉のような説得力と迫力がある。
 
あるいは、彼が格闘ゲーマーであることを知らなければ、囲碁や将棋を極めた名人が勝負の世界を語っているのだと錯覚してしまうだろう。
 
スポーツや仕事から人生全般にまで通じる印象的なセンテンスを引用しておこう。
引用:
「僕にとって何が自信につながったかと言えば、それはゲームの上手さや強さではなく、苦手なものを克服しようとしたり、あえて厳しい道を選んだりする自分の取り組み方、高みを目指す姿勢を貫けたという事実があったからだ。 手を抜かず徹底的に追求することが、自信を持つ何よりの糧となったのだ。」
 
「勝負を決する彼我の力の差というのは、ごくごくわずかだということだ。」
 
「ほとんどの人は、実力がつけばつくほど自分なりのスタイルというものを確立してしまう。・・・するとその形に縛られてプレイの幅が狭まり、結局は壁にぶつかってしまう。・・・・(だから)99.9%の人は勝ち続けられない。」
「その点、僕の勝ち方にはスタイルがない。スタイルに陥らないようにしていると言っていい。他人から『ウメハラの良さはここ」と言われると、それをことごとく否定し、指摘されたプレイは極力捨てるようにしてきた。」
 
「結果が出なかった時、どう受け止めるかでその後の歩みは変わってくる。」
「僕はこれまで頭の回転が速く、要領が良く、勢いに乗っていると思われる人間と何度も戦ってきたが、ただの一回も負ける気はしなかった。 それはなぜか。彼らと僕とでは迷ってきた量が圧倒的に違うからだ。」
 
「僕はこれまでの人生で何度もミスを犯し、失敗し、そのたびに深く考え抜いてきた。だから、流れに乗って勝利を重ねて来ただけの人間とは姿勢や覚悟が違う。」
 
「(相手の)弱点を突いて勝つ方法は、勝負の質を落とすような気さえする。その対戦相手は自分を成長させてくれる存在なのに、その相手との対戦をムダにすると感じるのだ。だから、弱点を突かず、むしろ相手の長所となる部分に挑みたい。」
 
「正解がどちらの方向にあるのか、迷う必要すらない。すべての方向を探り尽くすから、どこかで必ず正解が見つかるのだ。」
 
「かつて生み出した戦術に頼らない覚悟と、新たな戦術を探し続ける忍耐があるからトップでいられるのだ。」
 
「僕にとっての正しい努力。それはズバリ、変化することだ。昨日と同じ自分でいない。そんな意識が自分を成長させてくれる。」「変化=進化を続けるためには、あえて苦手なことに挑戦してみるのもいい。」
 
「とにかく、考えることをやめなければ出口はみつかる。『ん、ちょっと待てよ、この考えは上手くいくかもしれない』 そんな閃きの瞬間が訪れるのだ。そうやって深く考える癖をつけておくと、考えることが日常になり、人よりも物事を深く考えられるようになる。」
 
「すなわち集中力とは、他人の目をいかに排斥し、自分自身とどれだけ向き合うかにおいて養えるものなのかもしれない。」
 
「やはり、最激戦地と呼ばれる戦場で戦うべきだ。」
 
「手っ取り早い方法や人の真似、安易な道を選んだ人は、どれだけ頑張っても最大で10の強さしか手に入れることができない。・・・・一方で10を超える強さを手に入れるための道は暗闇に包まれている。それまで誰も歩いたことがなく、その先に道があるのかさえわからない。・・・人よりも強くなりたいのであれば、自分を信じて、不安を打ち消しながら進むしかない。・・・10を越えた強さは、もはや教えることもできなければ誰も真似することもできない。」
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31歳の若さでこれだけの覚悟のある言葉を語り、実際プロ・ゲーマーとして勝ち続けたというのは驚くべきことだ。それがどこから生まれたのか? 自分の身一つ、ゲームに勝つことだけに賭けるという生き方と覚悟から生まれたんだと思う。 つまり勝負師の世界だな。
 
私なども、けっこう我が道を行くスタイルで仕事をやってきたつもりだが、それでも所詮、銀行、または大学というものを盾にしたり、支えにしたりしてやってきたから、自分と比較してみて、彼の生き方が並大抵のものではないことはわかる。
 
「一度身につけた技やパターンは捨てる。それにこだわれば、それが弱点になる」という言葉も強い直感的な説得力がある。日本のビジネスが今一番必要としている覚悟がこれだなと思う。
 
「相手の弱点を突かず、むしろ相手の長所となる部分に挑みたい」 
この言葉で思いだしたことがある。学生時代に友人と二人で、傾倒した先生(関西の大学教授)を学園祭の講演会に招き、講演してもらった時のことだ。
 
先生がこう言ったのが印象的だった。
「学問的な論争を挑む時は、相手の論理が最も強固だと思っているところに挑戦して、論破しなさい。
それでこそ論破したと言える価値があるんだ。」
その先生とは、マルクス経済学に数理的な技法を導入するという当時の日本で孤高の道を歩まれた置塩信雄教授だった。
 
追記(2月2日):
「たかがゲームに・・・」と思っている方もいるだろう。しかし、何段だとか名人だとか呼ばれているプロ棋士の世界だって、たかが「吹けばとぶ様なような将棋のコマ」に血道を上げていることになる。
それはあらゆるスポーツにも言えることで、「たかがボールころがし」だったり「たかがボール打ち」だ。
 
遊びで始まったことが、人生を傾注する勝負事になったり、一大事業になってしまう・・・人間というものは実に奇妙な動物だ。でも「文化」とはすべてそういうものだな。
 
以上