たけなかまさはるブログ

Yahooブログから2019年8月に引っ越しました。

タグ:その他人文科学

facebookで友達つながりのある上念司さんが、「虎ノ門TV」とかで私のマンション価格・賃料図表を引用・紹介しながら、「不動産価格の下落の始まりが近づいているぞ~竹中正治さんの予想は良くあたるぞ~」と「大予言」をしたことから、facebookでお友達申請が少し増えたようだ。

「虎ノ門TV」あるいは「虎ノ門ニュース」なるものについては、私は全然知らない。同TVのサイトを見るとなにやら凄い右派系の識者が並んでいるような感じもするが、私の単なる気のせいかもしれない。

図表の解説については(私の過去の複数の著作の中で繰り返し語ってきたことだが)、番組の短い時間の中では十分な内容ではなかったようなので、ブログで改めて解説しておこう。

Price Rent Ratio

図表1が、一般財団法人不動産研究所の「不動研住宅価格指数」として公表されている東京の中古マンション価格指数(赤線、以下「マンション価格指数」)、並びにアットホーム株式会社が公表しているマンション賃料インデックス(東京)(緑線、以下「賃料指数」)に基づいたグラフである。 またブルー線はマンション価格指数を賃料指数で割ったPRR(Price Rent Ratio)である。これは株価収益率(PER=株価/一株当たり利益)に相当するものだ。

資産のファンダメンタルな価値とは、それを所有することで得られる将来にわたる純所得(株式なら配当、住宅など不動産なら賃料)の現在価値の合計である。ところが株価の将来にわたる配当は実に不確実で、予想の信頼度は低い。

ところが住宅の賃料は企業利益に比べると実に安定しており、その長期的な平均伸び率は日本でも米国でも物価上昇率に近い。 なぜ安定しているかと言うと、住宅賃料は家計所得から払われ、家計所得の変動は企業利益の変動よりもはるかに安定的だからだ。

一方、住宅価格の変動は賃料よりもずっと変動する。つまり賃料キャッシュフローから計算されるファンダメンタルな価値から大幅に過大評価にもなるし、過小評価にもなる。 なぜ価格の変動性が大きいかと言うと、その購入がローンで払われる場合が多いからだろう。 月々の家計所得から払われる賃料は大きく変動し難いが、価格はローンであがなわれる場合が多いので、価格が大きく上昇してもローンを増やすことで買ってしまう購入者が多いからだ。つまり金融レバレッジの伸縮に強く依存して変動するのだ。

そこで価格を賃料で割ったPRRを計算し、その長期的な平均値からの乖離を見れば、マンション価格の割高・割安が見抜けるという仕掛けである。このことに気が付いたのは米国勤務時代に2006年頃、米国の住宅価格はもうバブルじゃないかと調査レポートなどを読んでいた際に、住宅価格指数(代表的にはS&P/Case/Shiller Index)を賃料指数で割った図表を見た時である。 

まとめると、
ブーム、あるいはバブルの時:PRRは長期的な平均値から上方に乖離する。
不況、あるいはバブル崩壊時:PRRは長期的な平均値から下方に乖離する。

というわけで、PRRが下方乖離した時が買い時、上方乖離した時は売り時を教えてくれるシグナルとなる。 私がマンション投資を始めたのは1998年であるが、この図表の作成、継続的なモニターを始めた2007年以降は、ほぼこのPRRの波に従ってマンションの売買を行ってきた。

つまり2007年は売り、09年は買い、2012年は再び買い、2015-17年は売りである。現在はローンの返済を終えた中核ポジションとしての複数のマンションを残して後は売り、キャッシュ残高を膨らませて次の買い時(不況)を待っている状態だ。

図表1は時々更新して私のホームページで公開している。

ただしPRRは割高・割安のシグナルにはなるが、価格がいつ下落や上昇に転じるかは分からない。この点は誤解のない様にお願いしたい。

在庫件数/成約件数比率
マンション価格の上昇、下落を一歩早く知るような仕掛けは可能だろうか? そのひとつは図表2である。これは上記のマンション価格指数と、レインズタワーが公表している中古マンション(東京)の在庫件数と月次成約件数で作ったグラフだ。 

見て分かる通り、マンション価格指数の前年同月比の変化は、在庫件数を月次の成約件数で割った比率(12か月移動平均値)(図表上逆メモリ)と高い負の相関関係がある。つまり在庫件数/成約件数が上がり始めると価格は下がり始めるということだ。

現在の状況は、在庫件数/成約件数比率がじわじわと上がる(逆メモリ)状況下、2013年以降前年比でプラスだった価格指数の伸びがゼロ%近傍に下がってきている状況だ。

マンション価格に対する株価の先行性
マンション価格の先行きに関するもうひとつの手掛かりは、価格指数の時系列分析から得られる。手短に言うと、上記のマンション価格指数の前年同期比の変化は、①賃料指数、②株価指数(日経平均)、③長期金利(10年物国債利回り)の各前年比の変化の3つの変数で回帰分析すると、有意な結果が得られる(説明度を示す決定係数R2=0.49 期間2002-18)。

この回帰分析から得られるポイントは、株価(日経平均)はマンション価格指数の変化(前年同期比)に対して約6か月の先行性があることだ。 つまり株価がど~んと上がれば(下がれば)、約6か月遅れて東京の中古マンション価格は上がりますよ(下がりますよ)ということだ。

景気動向
要するにマンションの買いは次の不況時まで待ちなさいということで、次の不況はいつか?ということに尽きる。大雑把な予想だが、私は次の米国の景気後退は2020年±1年に始まると予想しており、日本もそれに連れて景気後退となるだろう。 慌てる必要はない。それまで気長に待てば良いのだ。

逆にもし借金パンパンでマンション・アパート投資をしている方の場合は、それまでに売っておかないと痛い思いをする可能性が高いですよということでもある。



図表2
イメージ 2


PhD!
このたび、京都大学にて経済学博士号の学位をいただけることになりました。
かなり嬉しい(^^)v(^o^)丿(*^。^*)

学位評価対象論文:「米国の対外不均衡の真実」晃洋書房より発刊、2012年2月
学位審査委員会主査:岩本武和教授(国際金融論)

銀行を退職し、大学に移ってから3年かけた作業が実を結びました。
ここに至るまでご助言、ご支援くださった先生方に御礼申し上げます。<(_ _)>
 
大学関係者の方々はご存じのことですが、博士号の取り方は2種類あります。 ひとつは大学院で修士課程、博士課程と進み、博士論文を書いて承認される方法で「課程博士」と呼ばれます。 
 
他ひとつは、「論文博士」と呼ばれる方法で、大学により多少異なりますが、京大の場合は学術的な評価対象になる著作を刊行し、それで大学に申請し、審査(含む口頭試問)を経て承認されるものです。 
大学は自分の母校である必要はありません。
 
私の場合は、学部を卒業して大学院に進まず、52歳まで銀行ビジネスの世界でやってきたので、博士課程はおろか、修士課程も経ていないので、もちろん後者の「論文博士」です。
 
論文博士の場合、事前に自分の著書の学位審査を引き受けてくださりそうな先生にお願いして、ご了承を頂く必要があります。審査作業はけっこう手間がかかりますから、どなたでも引き受けてくださるわけじゃありません。私は京大の岩本武和教授(国際金融論)にめぐり合えたことがラッキーでした。京大の方角に足を向けて寝れません。 
 
修士課程、あるいは博士課程を卒業したまま博士号論文を書いて申請せずに、博士号なしで大学教授をしている方々は、実は沢山おり、特に50歳代以上の年輩の方々には多いです。ただし現在の20歳代、30歳代では大学で教職に就くなら博士号は事実上必須です。 論文博士ならば年齢制限もありませんので、50歳過ぎてからでも挑戦できます。
 
しかし学術書というのは、まことに売れないね(^_^;)
「50歳過ぎてからの博士号の取り方」って本書いたら、売れるかな?
 
 
竹中正治HP
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佐々木俊尚の「『当事者』の時代」(光文社新書、2012年3月)を読んだ。
(↑例によってアマゾンにレビュー書いております。)
468ページという新書としては異例の厚さだが、引き込まれて一気に読んでしまった。
 
「『当事者』の時代」というタイトルに込められた著者の含意は読まないとわからない。ただし次の帯封の文章がそれを補っている。「いつから日本人の言論は、当事者性を失い、弱者や被害者の気持ちを勝手に代弁する「マイノリティー憑依」に陥ってしまったのか・・・」 
この帯封を読んだだけで、私は後頭部にぞわぞわっと電気が走り、後はもう一気に読み切った。
 
ひとことで言えばジャーナリストとして生きて来た著者の渾身の戦後メディア批判である。こんなにラディカルなメディア批判はこれまでお目にかかった記憶があまりない。同時にそれが日本の戦後思想史の一角に鋭く斬り込む内容となっている。 
 
著者の分野は異なるものの、「革新幻想の戦後史」(竹内洋、2011年)の内容と比較対照しながら読むと一段と味わいが深いだろう。
 
1章は著者が毎日新聞の記者だった時の経験をベースに、警察(政府)とメディアの関係を「記者会見共同体」という表の顔と「夜回り共同体」という裏の顔の表裏一体の二重構造として解き明かす。
 
その後、話はがらりと転回し、戦後の思想史となる。筆者の俯瞰するところによると、敗戦から1960年代前半頃までは論壇を含む国民一般の戦争体験に関する意識は濃厚な被害者意識だったと総括する。要するに無垢な国民は、軍部独裁の下で事実から目を塞がれ、無謀で悲惨な戦争に徴兵され、大空襲で焼かれ、そして2つの原爆を落とされた被害者だったという意識だ。
 
そうした思潮が60年代の小田実の「被害者=加害者論」を契機に転換し、日本人は中国人、朝鮮人、アジアに対して同時に加害者でもあったという視点が登場した。それが戦争問題に止まらず、社会的なマイノリティー弱者、被差別者の視点から捉えるマイノリティー視点へと広がった。
 
そのこと自体は視点の拡大として意味があるはずだったのだが、思わぬ思想的な副作用を生み、「薬物の過剰摂取のように、人々は被害者=加害者論を過剰に受け入れ、踏み越えてしまった」(p278)と言う。 
 
言うまでもなく、これは右派系論者から「自虐史観」と批判されるようになる左派系論者の歴史観や思潮に顕著に見られる傾向となったわけだが、著者の本論はメディアもそうした視点にどっぷり漬かってしまったことだ。
 
そこから、虐げられたマイノリティーに憑依することで絶対的な批判者の視点に立とうとする様々な論調が論壇でもメディアでも横溢するようになってしまったと説き、70年代の過激派セクトの変遷や一世を風靡した本田勝一の論調を読み解く。
 
特に次のような手法が日本のメディアに蔓延したと指摘する。 「弱者を描け。それによって今の日本の社会問題が逆照射されるんだ。」(p393) 物書きとしてはセンセーショナルな記事が欲しい。そこで「矛盾を指摘するためには、矛盾を拡大して見せなければならない。だからこそマイノリティー憑依し、それによって矛盾を大幅にフレームアップしてしまうことで、記事の正当性を高めてしまおうとする。」(p398)
 
さらにそうしたマイノリティー憑依の思考が、実は古代からの日本の神概念をルーツにしていると著者は説く(第5章「穢れ」からの退避)。ただしこの点は日本の神概念の特徴分析として興味深いが、本当に戦後のマイノリティー憑依と同根であるかどうか、かなり冒険的な仮説だと思う。
 
最後に、こうしたメディアの手法も90年代以降、日本経済、政治環境が、それまでの大きく変わることによってさすがに陳腐化し、廃れてきていると言う。 
 
それではどうしたら良いのか? 「インサイダーの共同体にからめとられるのではなく、そして幻想の弱者に憑依するのでもなく」当事者の立場で歩もう(p429)というのが、本書のタイトルの含意になるわけだ。
 
もっともマスメディアはあくまでも傍観者、観察者であり、当事者になれるはずがないという原理的な困難性を抱えていることも承知だ。ただし時代はマスメディアの終焉に向かい、インターネットにより誰でも情報を発信できるようになった故に、様々な当事者の情報発信という新しい時代環境が始まっているのではないか・・・・と締め括っている。
 
論点の全てに合点がいくわけではないが、著者の半生を総括した渾身のメディア・思潮批判だ。重く受け止めたい。
 

この週末、引き受けた書きものに追われているのだが、困ったことにこういう時に限って気晴らしにブログをいじりたくなる。
以下のgonchanさんのコメントに反応して、仮想対話が脳裏に浮かんだ。
「長年の住宅と株式の上昇という資産効果(および担保価値増大から来た借金)の恩恵から所得(9.5%の失業率)というフローへの対応変化はあとどれぐらいかかるのでしょうかね」
要するにアメリカの家計のバランス・シート調整が終わって、経済成長が巡航速度に戻るのに、あとどのくらいかかるか、という問題であろう。
 
仮想対話:船上のコロンブスと副官の対話
 
副官 「船長、この海をこのまま西に進めば本当にアジアに着くんですかい?」
コロンブス 「必ず到着する。間違いない」
 
副 「西の海の果てには巨大な滝があって、そこがこの世界の終わりで、その滝から落ちると奈落の底だって・・・・そう言っている奴もいるんですが・・・?」
コ 「そんなことは決してあり得ない」
 
副 「じゃあ、後どのくらいかかるんでしょうかねえ?水兵たちが不安がっていいるんですが・・・」
コ 「わからん」
 
副 「えっ!? わからないんですか?」
コ 「距離は推測したが、船の速度は風と海流次第だから、わからん」
 
副 「もうちょっと行ってみて、ダメだったら引き返すとか、考えてみませんか?」
コ 「全く考えていない」
 
副 「でも食糧にも限りがあるし・・・」
コ 「魚でも釣ろうか」
 
副 「水も限りがあるし・・・」
コ 「雨が降るだろう」
 
副 「戻りたいって騒ぐ水兵もいるし・・・」
コ 「船を降りて泳いで戻るがよかろう。止めぬ」
 
副 「・・・・・・わかりやした、食糧の足しに魚でも釣ってきます」
コ 「ご苦労、私はカツオのあぶり焼きが好物だ」
 
おわり

昨晩のNHKの「龍馬伝」
武田鉄也ふんする勝海舟が龍馬に言う。「日本は異国相手にどうしたらいいのか?おまえの考えを言ってみろ。ゆっくり考えて、心の中から上がってくる考えを言ってみろ。」

すると龍馬はう~ん、う~んとうなりながら、自分の剣術の経験から発想する。
「自分は剣術は強いが、人を斬りたくはない」
→「強い剣術士は戦わなくてすむ」
→「日本が強い海軍を持てば異国とも戦わずに日本の独立を守れる」
という着想を経て、攘夷派と違う「開国、富国強兵」というアイデアに達した。

ドラマだけど、世間の意見に流されずに、自分の頭で考えるってことの基本をみごとに描いていると合点した。
 
一方、攘夷派の武市半平太の発想法 「夷敵が大国じゃろうが、強かろうが、神州日本の土地を犯す以上は断固打ち払う」
あまりに観念的で、戦略も合理性も欠いている。
ところがこの発想法が、やがて旧日本軍、特に陸軍を支配してゆくと司馬遼太郎は「竜馬がゆく」で強調している。
 
旧日本軍だけではないだろう。今の日本にもそういう観念論的発想から抜け出せない方々がいるだろう。


龍馬、再論
私の友人の一人がEメールでこう言っていた。
 
「竜馬はどうしてああいう世界観になったんでしょうね。
世界観=Worldviewは人の行動の基礎になるものだと思うのですが、どうして土佐の
田舎であんなに大きな世界観を持てたのか、不思議です。」
 
「竜馬がゆく」を読まれた方はみな分かっていると思うが、司馬遼太郎は龍馬(ここでは史実の「龍馬」で統一します)の思想的な展開を「幕末・維新の奇跡」と位置付けながら、それが可能になったプロセスに関してひとつの解釈を提示している。
 
その1、龍馬はとにかく船と海が大好きだった。
その結果、江戸が黒船ショックに襲われ、「夷敵」の脅威に庶民は震え、武士は「壌夷」の感情を高ぶらせ始めた時、同じく黒船を見た龍馬は「すげ~、こんな船がこの世にはあったのか!わしもこんな船を操って海の向こうの世界にいってみたいぜよ」と他の多くの武士とは違う情念を抱いた。
異質なものに接すると恐怖を感じるか、好奇心に駆られるか、人間はいつも2つに分かれるね。
しかし、龍馬も人の子、最初は大勢の攘夷思想にのまれていたが、やがてかれの考えは攘夷ではなく、開国、貿易、そして富国強兵へと展開していった。海援隊の設立と活動はその第1歩だった。
ところが幕府は攘夷は事実上放棄するものの、開国、貿易の機会は幕府で独占し、ある意味で当然ながら幕藩体制の維持にこだわり、龍馬は「ならば倒幕するしかない」という点では他の攘夷派と一致していた。
 
その2、龍馬は渡米した勝海舟などと出会い、アメリカのデモクラティックな政治体制に関する知識に接した。このアメリカの民主政体を知って龍馬は驚き、惹かれる。自分の土佐藩、上士(主君山内家の家臣として土佐に移って来た武士)と下士(土着の長宗我部の元家臣)の厳しい身分制度への不満のエネルギーがデモクラシーの理念を知って急開花したわけだ。
その結果、彼の倒幕後の政権構想は、元首に天皇を戴きながらも議会を主とするという民権的な内容になった。これは明治の民権思想の先駆だろう。
 
その3、商家、坂本家の商才と陽気さ
開国、貿易という龍馬の発想の下地に、武士でありながら坂本家は商家でもあったことを司馬遼太郎は強調する。しかも、その家族、家風がえらく陽気だったとも書いている。ああ、陽気さ、なぜか豊かになった今でも日本に足りない雰囲気だな。なんでみんな簡単に悲壮になっちゃうんだろうか。
 
こう書くともっともらしいけど、やはり偶然を通じて展開する時代の転換というのは、その過程自体が奇跡的だなあ、と感じざるを得ない。
 
 

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