たけなかまさはるブログ

Yahooブログから2019年8月に引っ越しました。

タグ:その他政界と政治活動

先日このブログで歴史学者、秦郁彦氏の「慰安婦と戦場の性」(新潮選書、1999年)をタイトルだけ紹介したが、ようやく同書を読み始めた。
 
440ページと分厚いが、わかりやすく、文献、資料の引用も実に丁寧で包括的だ。この本を読んでいれば、慰安婦問題に関する隣国政治家の妄言にも、日本の左翼運動家の扇動にも惑わされることもないだろう。
ちなみに秦氏の学歴、経歴は以下のwikiを参照、歴史学者として一流のアカデミズムの学歴、実績を有する方だ。
 
まだ前半の章を読んでいる段階だが、言論プラットフォーム、アゴラによくまとまっている書評を見つけたので、以下に紹介しておこう。 評者は石井孝明氏
 
引用(一部省略):本では軍と占領地の治安を担当した憲兵(軍警察部門)の詳細な記述が残されている。日本人が朝鮮から女性を狩り集めたという嘘の証言をした吉田清治が、それを嘘と認めた電話インタビューも掲載されている。

韓国の人々は「数十万人の朝鮮人女性が軍と警察によって拉致、もしくは挺身隊の名目で連れ去られ、戦地に連行され、売春婦にさせられた」と思い込んでいるらしい。日本でこの問題を90年代から騒ぐ人も、このような情報を吹聴した。
ところがこの本によれば、事実はまったく違う。
 
・太平洋戦争中、1万人から2万人の人が慰安婦として働いた。約半数が日本人で、2割程度が朝鮮人だった。
 
・慰安婦は二等兵(最下級の兵)の給料が月10円程度(戦地の加俸なし)のところ、月300円程度の収入があった例もある。
 
・軍や政府が、強制的に女性を集めた証拠はない。業者を前線近くで治安上保護し、また性病を避けるため衛生管理などをした例はある。
 
・女性が騙された例は多くあった。当時はいわゆる前借金を渡され返済するという形で事実上の人身売買が行われた。最初は親など肉親が娘を売る例が多いものの、女性に他の仕事がないために、そこから抜けられなくなることが多かった。
 
・女性が学校や職場などの単位でグループをつくり、工場などで強制的に働かされる女子挺身隊という制度があった。内地では半強制的に行われたが、朝鮮では大規模に実施されなかった。これと慰安婦との混同がある。

喜んで売春を仕事にする女性はほとんどいないだろう。しかも、それが騙されて行われた場合は大変気の毒だ。しかし一世紀近く経って、今の日本、そして私たちの世代が事実と異なる問題で責任を引き受ける必要はまったくない。

秦氏は、一部の活動家の事実に反した主張が、朝日新聞などの報道、そして左派系の政治勢力によって問題が拡大し、問題がこじれたことを中立的な視点で検証する。そして次のようにまとめた。

「(慰安婦問題は)少なくとも正義・人道を基調とする単純な動機から発したものではないようだ。おらくは内外の反体制運動体がかかえていた政治的課題にからむ、複合した思惑の産物であっただろう。それを誰よりも敏感に感じ取っていたのは、一人も名乗りをあげなかった日本人の元慰安婦たちだったと思われる。

だが一度火のついた政治キャンペーンを消火するほど、至難なことはない。煽られたマスコミやNGOは熱に浮かれたように興奮した。その熱気に押されて、日本政府は謝罪と反省を乱発した。」
***
 
ちなみに、私も対談や寄稿をしている雑誌「公研」の今年9月号で、秦氏の「歴史認識と歴史戦争、河野談話以後の日本とアジア」と題した講演録が掲載されている。その一部を引用しておこう。
 
引用:「慰安婦は、数から言えば日本人が一番多いのです。しかし日本のマスコミは、日本人の慰安婦には興味がないのですよ。私はまだ慰安所や慰安婦の実態がわからない頃に、新聞社の人に『あなた方は支局網があるのだから、探せばすぐに日本人の慰安婦がみつかる。そうすれば、いろいろなことがわかるはずだ』と言いました。しかし、『日本人ですかあ・・・・』という感じで新聞記者は全く興味や関心を示さなかった。  
 
結局、日本人の元慰安婦で名乗り出た人は一人もいませんでした。考えてみるとヘンな話なんですよ。日本人慰安婦は、一切論議の対象になっていない。」
***
 
なぜ社民党の元党首や朝日新聞などは、韓国まで元慰安婦を求めて出向いているのに、足元の日本の元慰安婦については関心も調査もしてこなかったんだろうか? もし左派の倫理観が本当に普遍的な人権尊重の立場に立脚するのであれば、自国の元慰安婦問題こそ一番に関心を向け、調査するのが自然だろう。
 
これは私の推測で、秦氏も同様の示唆をしているが、様々なケースがあったにせよ、慰安婦の実態は、隣国と日本の左翼の方々が喧伝した「性奴隷」という表現とはかなり乖離したものだったからだろう。これは秦氏の著作のなかで明らかにされている。
 
隣国では奇妙なナショナリズムの激高でエキセントリックに日本政府を弾劾し、賠償を求める元慰安婦の「発見」に一部マスコミは成功し、それを政府批判の政治的な材料に使うことができたわけだ。 ところが日本ではそうした元慰安婦に遭遇できず、政治的な攻撃の材料に使えない。政治的な攻撃に使えないどころか、自らが広めた「性奴隷」という表記とはかなり違う慰安婦の実態が明らかになってしまう。従って関心も向けなかった。そういうことではなかろうか。
 
また、慰安婦制度を有さず、その代わりに日本人、中国人、朝鮮人の見境なく侵攻地でレイプの限りを尽くしたソ連軍の問題は追及されるべきだし、日本の慰安婦の実態はドイツや英米軍の有様とも比較して論じられるべきだろう(秦氏の著作は第5章「諸外国に見る戦場の性」でそれやっている)。ところが日本の朝日新聞など左派メディアはそうした当然のことをほとんでやらず、関心も向けてこなかった。これも上記の事情を想定すれば、納得できることだ。
 
最後に蛇足だが、秦氏の講演録が掲載されている雑誌「公研」9月号、偶然ながら私も「予測の限界と適応戦略」と題したショートエッセイを掲載している。 同誌同号の掲載お隣の論者は、佐々木毅(東大名誉教授)と上田隆之氏(資源エネルギー庁長官)、アラララ、随分と立派な方々と並んでしまった(^_^;)
http://www.koken-seminar.jp/new.htm (←公研のサイト)
 
追記:ワシントンDC 古森さんの論考
 
 
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塩野七生の 「朝日新聞の“告白”を越えて」文芸春秋
 
朝日叩きの特集でにぎわっている週刊新潮も文春も私は読まないのだが、文芸春秋に塩野七生さんが「朝日新聞の“告白”を越えて」と題した論考を寄せているので、これは買って読んでみた。
 
さすがに塩野さんの切れ味はいい。以下印象的な部分を引用しておこう。
 
引用:「それでも朝日は、『女性たちが本人の意に反して慰安婦にされる強制性があった』とする線はゆずらず・・・・だが、私は、考え込んでしまった。
元慰安婦たちの聴き取り調査を行なったということだが、当事者本人の証言といえども頭から信じることはできないという人間性の現実を、調査しそれを基にして記事を書いた人は考えなかったのであろうか、と。
 
人間には、恥ずかしいことをしたとか悪いことをしたとか感じた場合には、しばしば、強制されたのでやむをえずやった、と言い張る性向がある。しかも、それをくり返して口にしているうちに、自分でも信じ切ってしまうようになるのだ。
 
だからこそ厳たる証拠が必要なのだが・・・・「裏付け調査などを行なわなかった」では済まないのである。 対象に寄り添う暖かい感情を持つと同時に、一方では、離れた視点に立つクールさも合わせ持っていないと、言論では生きていく資格はない。」
 
さらに当時オランダの植民地だったインドネシアでの慰安婦問題について、政府と朝日新聞に対して有意義な具体的調査提案をしているが、省略するので、ご関心のある方は、同誌を読んで頂きたい。
 
「朝日の正義はなぜいつも軽薄なのか」 
同誌は続けて平川祐弘東京大学名誉教授の「朝日の正義はなぜいつも軽薄なのか」を掲載している。これも興味深かったので、一部引用しておこう。
 
引用:「私も当時(1950年代前半まで)論壇主流と同じ考えに染まっていた。社会主義の資本主義に対する優位を信じていた・・・・
私が朝日・岩波系知識人の世界認識からはっきり離れたのは、1956年ハンガリアでソ連支配に対する暴動が起きても、彼らが社会主義賛美を止めなかったからである。
 
親ソ派の大内兵衛(東大教授)は『ハンガリアはあまり着実に進歩している国ではない。あるいはデモクラシーが発達している国ではない。元来は百姓国ですからね。ハンガリアの民衆の判断自体は自分の小さい立場というものにとらわれて、ハンガリアの政治的な地位を理解していなかったと考えていい』(「世界」1957年4月号)とソ連軍の介入を公然と正当化した。」
 
「私見では、戦前の一国ナショナリズムのあらわれである日本の絶対不敗の信念と、戦後の日本の『諸国民の公正と信義に信頼する』するという絶対平和の信仰とは、1つのコインの表裏で、ともに幼稚な発想に変わりはない。世界の中の日本の位置と実力を見つめようとしないからである。」
 
「徹底した実証主義で知られる近現代史家の秦郁彦は『朝日新聞』の報道で吉田の存在を知り、怪しいと直感して出版社に電話すると『あれは小説ですよ』と返事をした。済州島の土地の人も否定した。吉田本人も週刊誌記者に問いつめられてそのことを認め 『事実を隠し、自分の主張を混ぜて書くのは新聞だってやっていることじゃないか』と開き直った。 
 
虚言癖の人の証言が大新聞によって世界的に報道され、吉田の本は韓国語、英語に翻訳され、国連報告書にも採用され、日本は性奴隷の国という汚名をかぶせられた。その経緯は秦郁彦『慰安婦と戦場の性』(新潮選書)に詳しい。」
 
「韓国でもかなりの人は慰安婦が自国の業者によって斡旋されたことは知っていた。それを他国の軍によって強制的に連行されたといい、吉田清治が職業的詐話師であると薄々わかった後も、その発言を引用し、慰安婦の数を多く増やして述べれば述べるほど純粋な愛国韓国人とみなされると信じるのは、憎日主義的愛国主義がもたらした倒錯症状である。」
***
 
というわけで、早速、秦郁彦氏の著作を注文した。
さらにこの論考に続いて、「『慰安婦検証記事』朝日OBはこう読んだ」と題して3名の元主筆、元編集委員、販売事業会社の元社長が、それそれの思いを述べている。
 
日本の戦後左派の思想潮流をふり返る
問題は上記の平川氏が述べているように、日本の戦後左派の思想潮流を見直すところまで広がるのが自然だと思う。その点では近年読んだ本で私自身アマゾンでレビューも書いた以下の2書を紹介しておきたい。Max-Tの名前で書いているのが私のレビューである。
 
当事者の時代」佐々木俊尚、光文社新書、2012年
私のレビューからの引用:「(著者は)敗戦から1960年代前半頃までは論壇を含む国民一般の戦争体験に関する意識は濃厚な被害者意識だったと総括する。要するに無垢な国民は、軍部独裁の下で事実から目を塞がれ、無謀で悲惨な戦争に徴兵され、大空襲で焼かれ、そして2つの原爆を落とされた被害者だったという意識だ。

そうした思潮が60年代の小田実の「被害者=加害者論」を契機に転換し、日本人は中国人、朝鮮人、アジアに対して同時に加害者でもあったという視点が登場した。それが戦争問題に止まらず、社会的なマイノリティー弱者、被差別者の視点から捉えるマイノリティー視点へと広がった。

そのこと自体は視点の拡大として意味があるはずだったのだが、思わぬ思想的な副作用を生み、「薬物の過剰摂取のように、人々は被害者=加害者論を過剰に受け入れ、踏み越えてしまった」(p278)と言う。 

言うまでもなく、これは右派系論者から「自虐史観」と批判されるようになる左派系論者の歴史観や思潮に顕著に見られる傾向となったわけだが、著者の本論はメディアもそうした視点にどっぷり漬かってしまったことだ。

そこから、虐げられたマイノリティーに憑依することで絶対的な批判者の視点に立とうとする様々な論調が論壇でもメディアでも横溢するようになってしまった・・・・(←正に朝日新聞が代表する流れですね)

特に次のような手法が日本のメディアに蔓延したと指摘する。 「弱者を描け。それによって今の日本の社会問題が逆照射されるんだ。」(p393) 物書きとしてはセンセーショナルな記事が欲しい。そこで「矛盾を指摘するためには、矛盾を拡大して見せなければならない。だからこそマイノリティー憑依し、それによって矛盾を大幅にフレームアップしてしまうことで、記事の正当性を高めてしまおうとする。」(p398)
***
この著作は2012年の出版だが、今回の慰安婦記事問題での朝日新聞に代表される左派的思考法の歪みの本質にスポットを当てたものとなっていると思う。
 
もう一冊は「革新幻想の戦後史」竹内洋、中央公論新社、2011年
やはり私自身のレビューから引用しておこう。
引用:「類稀な戦後思想史だ。戦後の論壇、アカデミズム、教育界を覆ってきた左翼思想的なバイアスを論考の対象にしているのだが、著者自身の思索・思想の遍歴と重ね合わせながら展開している点に惹かれる。

著者は1942年生まれ、京大を卒業して一時ビジネスに就職したが、大学に戻り、社会学を専門にした教授になった。 人生も終盤に差し掛かった著者が自身の思想的な遍歴を総括する意味も込めて書かれている。

著者自身が学生時代には、当時の大学、知識人(あるいはその予備軍としての大学生)の思想的雰囲気を反映して、左翼的な思潮に染まるが、やがて懐疑、再考→「革新幻想から覚醒」のプロセスを歩む。

私は著者より一世代若いので大学生時代は1975-79年であり、既に時代は左翼的思潮の後退、衰退期に入っていたが、私自身は左派的な思潮に染まったほとんど最後のグループだったと思う。既存の大人社会をそのまますんなりと肯定的に受け入れることができない若者の常として(常だよね?)、既存の体制をラディカルに批判する体系としては、マルクス主義を軸にしたものしか同時なかったので、自然と傾倒したのだ。だから私はマルクス経済学を中心に左派の文献をかなりマジに勉強した。

そのため著者自身の思想的な遍歴は、私自身にも共通する部分があるので、共感著しい。著者が学生時代に読んだ代表的な文献も私自身の読書経験と重なる部分が多い・・・・
***
 
「慰安婦問題検証記事」に端を発した議論、これまで溜まっていたものが吹き上げてくるような勢いがあり、まだまだ続くというか、上記の塩野氏や平川氏が指摘、提起するような調査と国際的な情報発信が展開して欲しい。
 
そういう意味では、今回の発端となった朝日新聞の「慰安婦検証記事」は、問題の封を切ったという位置づけができる。 もちろん、その後の怒涛のような展開は、木村社長が意図していたこととは正反対であろうがね。
 
 

今年は丸山眞男の生誕100周年ということで、本日の日経新聞にも大石格編集委員がコラムを書いている。 私も学生時代から丸山眞男の主要な著作は読んでいる。
 
最初に読んだのは、大学1年生の時(1975年)、教養学部の近代西洋史のゼミを受講希望する時に、「受講希望生は次の2冊の本を読んでレポートを提出すること」として指定された本のひとつが「現代政治の思想と行動」だった。もう一冊はフロムの「自由からの逃走」だ。 いずれも読んでおいて良かったと後々までふり返る本になった。
 
「現代政治の思想と行動」の冒頭の論文「超国家主義の論理と心理」でガッンと一発くらい、線を引きながら噛りつくように読みとおした。 右派(保守)も左派(マルクス主義系)もザックザックと切り裂いていく快刀乱麻のごとき超然とした論理展開に魅せられた。
 
確かに戦後のある時期まで(1960年代までかな?)、丸山の批判と論理に対してどう対峙するのか左派・右派双方の多数の論者が思想的な格闘をした時代があったのだ。 しかし私の大学生時代である1975年~79年には既に「脱イデオロギー」の潮流が進み、「君は丸山眞男の言っていることにどう対峙するのか?!」なんていう熱い議論は失せていた。
 
ところが、たまたま研究会の活動でお世話になった東大文学部の丸山昇教授(中国文学)が、その著作の中で幾度も丸山眞男の議論を引用し、鋭い問題提起や論理を展開していたので、私の中では丸山眞男の著作からのメッセージは大きくなっていった。
 
ちなみに丸山昇教授はハードコアな左派(マルキシスト)だが、丸山眞男を高く評価し、その左派批判を正面から受け止め、それを創造的に乗り越えることこそが、左派の思想と運動を「本物」にしていくと考えられていたと当時の私は受けとめた。
 
学生時代の私の理解力では、丸山の思想は個人の独立と自由意思をベースにした近代西洋の自由主義思想の代表に思えたのだが、同時に日本の伝統的な文化的雰囲気からまるで乖離したその思想の立脚点を丸山がどうやって得たのかわからなかった。
 
逆に言うと、それは丸山の天皇制や日本社会への批判を「上から目線」「西欧的な価値観からの批判」であるという論調、反発が出て来たわけでもある。
 
その後「忠誠と反逆」読んで、丸山の批判方法が単なる近代西洋的な価値観による外在的な批判ではないことは、私にとって明確になった。 というのは、この著作で丸山は、「滅私奉公」など戦前の軍国主義のイデオロギー要素にも利用された武士道思想と言う前近代の思想体系を分析するのだが、その奥に彼が見出したのは「反逆」という権威主義とは対極的なものへ転換する思想要素だったからだ。
 
主君のために滅私奉公する思想を徹底的に追求した場合、もし藩主が致命的に間違った判断をしようとした際に、本当に忠誠な家来はどうすべきか・・・・わが身の保身を捨てて主君を諌めるべきであろう、諌めても聞き入れない場合は・・・謀反すらあり得ようという論理の道筋で、伝統的な権威主義の中からその反対物、すなわち主体的な「個」の存在への契機を見出そうとしている、と私には思えた。
 
この論法は実に魅力的だ。人や世の中を変革する力とは、正にこういう論脈でできているのではないかと思う。私も自分自身の書きもので、そういう論理の展開を使う。例えば以下の映画評論だ。
 
今年、苅部直氏(東大教授、専門は日本政治思想史)の「丸山眞男~リベラリストの肖像~」(岩波新書、2006年)を読んで、この点で「超国家主義」に代表される丸山の批判が「上から目線だ」というような情緒的な反発をなぜ引き起こすのか、それでも丸山がどうしてそうした書き方を続けたのか、わかった気がした。 以下引用しておこう。
 
『超国家主義』論文をはじめとする、丸山の日本社会批判が、あたかも自分が西洋人になったかのような態度で、東洋の遅れた島国を見下す教説のように、しばしば受けとめられたのも、無理はなかった。・・・その『天皇制』批判が、苛烈な内面の劇の産物であり、深い自己批判でもあったことを告白するのは、元号が平成にかわった後の文章、『昭和天皇をめぐるきれぎれの回想』(1989年)においてである。・・・・
丸山は、日本人によく見られる『何かというと腹を割』ったり、『肝胆相照』らしたりする『ストリップ趣味』を、生涯拒否し続けた。それは、情緒による「ずるずるべったり」な一体感から精神を引き離すべきだという提言を、自身にもあてはめた自己規律であったが、同時にまた、その日本社会批判の出発点にあるものを、読者に見えなくさせた。」 (p146)
 
「腹を割った情緒の共有」 まことに日本人はこれが好きだ。これがないと日本では意見や利害が対立する状況ではなかなか理性的な議論が成り立たない。丸山が指摘したそうした状況は、当時も今も日本社会の中に根強い。これもまた丸山眞男が批判、指摘した幾多の課題のひとつに過ぎないが、他のほとんどの課題同様、今でも克服すべきものとして残っているものだろう。
 
参照:「ラーメン屋vs.マクドナルド」第3章ディベートするアメリカ人vs.ブログする日本人、情緒の共有を求める日本人」
 
 
 

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