たけなかまさはるブログ

Yahooブログから2019年8月に引っ越しました。

タグ:アジア情勢

「幸福の国」という虚構、ブ-タン

今日の日経新聞にブータンの記事が出ていたので気になって調べた。
「幸福の国」「国民幸福度指数:GNH」・・・うさんくさい話だと感じていたが、やはりね・・・の現実
人権を弾圧し、国籍まで奪う国に「国民の幸福」を語る資格はないだろう。
 
そもそも幸福とは個人が己の価値観に基づいて追求するものであり、国家がすべきことは、個人が幸福を追求するに際して必要とされる教育や就労において不公平や差別がなされないことを実現し、守ることだろう。
国家が「国民の幸福」を語り、政策にするなんて、「隠れ全体主義」ではなかろうか<`ヘ´>
 
引用:「(ブータンでは)85年の国籍法の改正と、88年の人口調査をうけて、やがてネパール系住民の多くが、過去にさかのぼって国籍を失うことになり、多くの人々が国を追われたのです。

民主化要求運動に参加したネパール系の人々も逮捕され、のちに逃れました。「伝統文化保護政策」も、習慣がちがうネパール系の人々には、息苦しいものでした。そして、一度ブータンから逃れた人々は、「許可なく国を捨てた」として、ブータン国民ではないとされてしまいました。
 
90年末からブータンを追われたひとびとは、ネパールに避難しました。難民の数は膨れあがり、国連の難民支援機関、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)は、ネパール政府から要請をうけ、92年初めには大規模な援助活動を行うようになりました。ネパールの南東部のジャングルを開墾して、7つのキャンプがつくられました。

今年(2012年)の2月末までに、ネパールから第三国に移りすんだ難民の数は、すでに6万1000人を突破しました。」
 
 
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http://bylines.news.yahoo.co.jp/takenakamasaharu/  Yahooニュース個人

この記事は興味深い。
 
引用:
「9月16日、あのときあなたは、なぜ反日デモに参加したのか」と記者が問い、「宿舎にいても退屈だった」と李が答える。
 
その後、福田区の警察署は、当時デモに参加し襲撃行為を行った暴徒をビデオから洗い出し、指名手配のポスターにして街中に貼り、ネットでも配信した。
 
李は自分が “指名手配中”である事実を友人から聞いて知った。それは確かに「自分の顔」だった。9月23日の出勤途中、街頭に貼り出された自分の手配写真を発見し、自首することを覚悟した。そして彼は、しばらく留置所に入れられた。・・・・・
 
彼らの標的とされた車に、張慧さんが運転するホンダの新車があった。蔡洋が率いるデモ隊が前方から突進してくるのが見えたが、別の道から逃げようにも渋滞で動けなかった。彼女はすぐに車から降り、跪いて叫んだ。
「どうか壊さないで!中に子どもがいるんです!」
 車の中には姉と姉の息子(17歳)が乗っていた。にもかかわらず、ひとりの若者がフロントガラスを脚で蹴破ると、それ以外のデモ参加者も後に続き、棍棒でホンダ車の破壊にかかった。・・・・・
 
さて、これら反日デモ経験者の述懐からは、このデモが最初から最後まですべてが政府主導だったわけではないことが見て取れる。また、中国全土で「同時発生」したという現象は、「官製デモ」と判断されがちだが、デモ前夜にはデモの組織化に向けて蠢く市民のやりとりがあったこともわかる。」
 
ただ、共通するのは、デモの参加者たちは格差社会のの底辺層であり、全体として「十分な教育と十分な収入を得ている層ではない」という点だ。上海の場合は、デモ参加者の使う言葉に方言が多く、地元の“上海弁”がほとんど聞こえてこなかったことからも、「外地出身者」の比率が非常に高かったことが想定される。」
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なぜこの記事が特段私の関心をひいたのか? 私が学生時代にやった「中国研究」の論考で描いたこと、つまり60年代の文革を通じて、全く同様の構図、抑圧された大衆の不満と権力の意図の二重構造からなる中国的動乱の構図が現代の中国でもそのまま続いていることを示唆しているからだ。
大学2年生当時の私の論考の一部を引用しておこうか。
 
引用:「限定された文化思想状況の中で、彼らは自らの不満要求を毛沢東の奪権の論理に直結させることによってしか表明することができなかった。それが本来ならば民主的合理的に解決されるべき彼らの不満・要求を動乱という形で爆発させた原因である。
 
そして、その動乱による秩序破壊を収拾するためにより一層の軍事官僚主義支配が必要とされるという悪循環。
そこに、この資料に現れた労働者の権力闘争が官僚主義的労務管理への批判を内在させながらも、一層の官僚主義的秩序の中へ収束していかなければならなかった悲劇の根拠があった・・・」
(竹中正治 「『紅衛兵通信集』に見る文革期の中国労働者階級の一局面に関する考察」全日本学生中国研究会連合中央論文集「燎火」1977年掲載)
 
ただし違いもある。いくらなんでも当時の毛沢東のように自分の権力奪回のためなら「文革」的動乱を繰り返しても良いと思っている権力者は今はいないだろう・・・と思うのだが。
 
竹中正治HP
http://masaharu-takenaka.jp/index.html (←ホームページ、リニューワルしました(^^)v)
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これは1950年代後半から60年代初頭の戦慄すべき中国現代史の一局面を描いた書である。著者はロンドン大学の教授で香港大学でも教鞭をとっている。
(アマゾンにこのブログと同じレビューを書いてあるので、ご覧になって参考になった方は「参考になった」をクリックしてくださいね(^^)v)

1958年の「大躍進政策」からその破綻、大飢餓に至る時代を対象にした書籍は多数あるが、中国の膨大な資料を丹念に引用しながら描かれた本書はその資料面での豊富さと網羅性において傑出している。

「一気に共産主義社会を実現する」という非合理的な情念(というよりは狂気)に取りつかれた独裁者毛沢東のイニシアチブで、共産党組織全体に狂気と圧政、民衆への暴力が横行した。結局、合理性のかけらもない政策が次々と破綻し、全国的な飢餓がひきおこされる過程が、詳細に描かれている。推定で4500万人が飢餓、拷問を含む組織暴力で死に追いやられた(当時人口は6億人台)。 
 
中国の故事に言う「苛政は虎よりも猛し」そのものだ。日本軍による中国侵略時の圧政と暴力すら、比較するとかすんで見える。 しかも、この時代の暴力と凄惨さは、1960年代半ばに始まる文化大革命の序曲でしかなかった。

その戦慄的な実態は、その規模と凄惨さにおいて、ナチスのユダヤ人殺戮、スターリンの大規模粛清、民族弾圧に匹敵する、あるいはそれを上回るものとして歴史に刻まれるだろう。本書はその歴史への「太い刻み」として今後必読の一冊となるだろう。

今の中国共産党は当時よりはモダンになったようにも見えるが、当時と同じDNAは1989年の天安門事件の時に顕在化した。今も同じDNAが潜在しているリスクを感じざるを得ない。

また北朝鮮では、本書に描かれた50年~60年前の中国と似通った状況が展開しているはずであり、これは過ぎ去った過去の出来事ではないとも言えようか。
ちなみに、日本では1970年代にはこうした「中国社会主義」の人命無視、圧政・弾圧の実態が情報としてはかなり流れてきていたが、1970年代後半になっても日本の左派の一部には依然としてこの時代を含めて中国共産党を賛美・礼讃する人々が根強く残っていたことも書き添えておこうか。あの方々は今どこで何を考えているのかなあ・・・。
 
 

今日報道されている中国全人代のニュースが気になった。
 
【北京=比嘉清太】中国の呉邦国・全国人民代表大会(全人代=国会)常務委員長は10日、北京で開会中の全人代で常務委員会の活動報告を行い、「国家の根本的制度など重大な原則では(共産党は)動揺しない。
動揺すれば、内乱のどん底に陥る可能性すらある」と述べ、共産党の一党独裁体制を堅持する姿勢を強調した。中東などで起きている民衆の抗議行動に倣って、中国各都市で民主化要求集会が呼びかけられていることに危機感を示したものだ。

報告では、欧米式の複数政党制や三権分立などの導入について、「中国の国情にかんがみ、我々はやらない」と断言した。さらに、建国前の「血みどろの奮戦」、文化大革命の「痛ましい教訓」を経て改革開放路線に至った歴史を振り返り、「党の指導の堅持」を繰り返して訴えるなど、昨年よりも共産党支配の正統性を一層強調し、独裁防衛への意思を強く打ち出した内容となった。
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何を考えたかというと、ひとつは経済的な豊かさの絶対水準は低くても格差が少ない社会と、経済的な豊かさの水準は上がっても格差が極端に拡大した社会では、どちらが政治的に安定的だろうかということだ。
人間はやはり絶対的な水準よりも、格差、とりわけ格差の拡大に反応する動物だから、やはり後者の社会の方が不満が高まって不安定になるのかな。
 
今の中国は一人当たりのGDPでは依然途上国的な水準にあるが、格差度合いでは米国に匹敵する超格差社会になってしまった。つまり中南米的な構図だ。 毎年大学を卒業する若い世代の数は2009年で約600万人だから、今の日本の10倍強(日本50数万人)だ。90年代までなら中国の大卒者は文字通り金の卵として就職する先に困ることはなかったそうだが、今は日本をしのぐ就職難になっている。
 
高度成長しても大卒者の増え方が急激過ぎて、彼らの希望する職の供給が間に合わないのだ。アルバイトならともかく、大卒でコンビニのスタッフや工場のブルーカラーってわけにはいかないからね。知的な不満分子の増加と言うのは政治的には、やはり不安定要因を増す。
 
高度成長する経済にもかかわらず、全人代で党の幹部がこれだけ危機感を強調して、引き締めをはかるのはそういう事情があるからだろうか。
(この点で比較すると、日本の1950年代から70年代初頭までの高度成長は、同時に所得格差が縮小したと言う点でユニークだった。)
 
う~ん、強固な支配を維持してきた共産党独裁体制が早晩崩壊するようなことは、やはりちょっと想像しがたい。しかし、ソ連邦のあっけない崩壊も予想しがたいことだった。 1997年7月にタイのバーツが暴落してアジア通貨危機が始まったが、翌年にはそれがロシア危機、ヘッジファンドLTCM破綻、中南米危機に帰結するとは、やはり97年7月の時点では予想し難かったしね。
 
なにしろ先日話題にした経済物理学の先生が説くように「臨界状態」ではちょっとした偶発的な刺激でも相変化が起こるのだから、このアナロジーで考えるとチュニジア、エジプトの変化(刺激)の最終帰結が中国の政治的な大変動であっても不思議はないことになる。(そうなるという必然性もないが)
 
なんて考えていたら、とても小口なんだが、2001年のITバブルの崩壊の後に買って長いこと持っていた中国株の投資信託を売っておこうかなという気分になり、今日解約注文を入れた。まあ、私の資産ポートフォリオの1%に満たない小口なんで売っても売らなくても大差ないのだが、気持ちの問題ね。
 
 
 
 

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