先週のワシントンDC出張の飛行機の中で「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」(増田俊也、新潮社、2011年9月)を読んだ。上下2段、700ページに及ぶ大著だが、読み出したら止まらない感じで一気に読んでしまった。
自分が意識せずに身につけてしまっている既成概念、既成イメージを洗い流してくれる本は、時々しか出会えないが、どの分野の本でも吸い込まれる。自分もそういうものを書きたいと思っている。この本もそうした貴重な1冊だ。
力道山を王者・ヒーローにしたプロレス伝説、明治以降の「近代柔道」に関する講道館と嘉納治五郎伝説、そういうものは武術や格闘技に特段の知識がない私の脳裏にもいつのまにか既成のイメージをしっかりと植え付けてしまっていた。そのことを、この本を読んで分かった。目から鱗が落ち、頭の中の既成イメージは木端微塵にリセットされた。実に爽快!
木村政彦、その超人的な強さの故に「木村の前に木村なし、木村の後に木村なし」といわれ、昭和が生み出した希有な柔道格闘家、その名を初めて知った。なぜか? その後のプロレス界からも、柔道界からも、この超人格闘家の存在は冷遇されたからだ。
一般の日本人の記憶から木村政彦の名が消えた一方、その後世界最強と言われるようになったグレイシー柔術と一族の間では木村は伝説的な存在として語り継がれた。なぜか?木村がグレイシー柔術の祖エリオと戦い、一方的に完勝し、しかもその人格的な魅力でエリオに強い影響を残しているからだ。そういうことを全部、はじめてこの本で知った。
またすっかり「スポーツ化」してしまった現代の柔道とは違う、万能格闘技志向の柔道が1950年前後まで存在していたこと、戦前まで講道館とは別派の柔道が2つあり、しのぎを削り合っていたことなどなど、日本の武術史に関する私のイメージがいかに歪められたものだったかを思い知らせてくれる事実を提供している。武術史に特段詳しくない他の読者にとっても同様であろう。
本書のクライマックス、木村と力道山のプロレス試合に関して言えば、力道山は木村に(プロレスの常識に従って)、引き分けるシナリオをのませ、念書まで書かせておきながら、自分も同様の念書を書く約束をはぐらかして書かなかった。そして試合では突如シナリオを裏切って、脳天に本気の打撃を加え、木村をマットに沈めてしまった。そして力道山無敵神話が始まった。
木村は(ショウビジネス)としてのプロレス(必然的にシナリオあり)を力道山とすべきではなかった。力道山は受けなかったかもしれないが、真剣試合の場合に限ってやるべきだったと感じた。そこに「負ける時は死ぬ時だ」と生きて来た男の人生最大の不覚があったと思った。
わずか数十年前のことであるにもかかわらず、「歴史とはたまたま勝ち残った者が作った虚構」であることを思い知らされずにはいられない。一般の記憶から埋もれかけた歴史を、莫大な労力と資料、取材を積み重ねて私達の眼の前に提示してくれた著者に深く敬意を払いたい。
ちなみに北京オリンピック100キロ級金メダリストで柔道から格闘技に転向した石井慧は、木村の持っていた万能格闘技としての柔道志向を継承していると位置付けられている。
1951年のエリオ・グレイシーとの試合は以下に動画が開示されている。この動画(にこにこ動画)は日本の記録にはなく、グレイシー一族が保存していたものが提供されたそうだ。